フランツ・シューベルトの音楽は明暗を包み込む。闇の中の一条の光であり、光明の内側に垣間見る暗黒だ。この永遠の音楽にひとたびはまるとなかなか抜けられない。
シューベルトのヒーローはモーツァルトだった。もちろん同時代に、同じ場所で同じ空気を吸っていたベートーヴェンは面識もあり、彼が師と仰ぐ存在であったことは間違いないが、おそらくモーツァルトは別格。
モーツァルトの音楽も陰陽をひとつにあわせもつ。この人の音楽はまったく恣意性なく、どんなシーンも愉悦的で柔和、人間が創造したとは思えぬ完璧さ。一方のシューベルトは、同じく光と翳の両面を擁するもののどこをどう切り取っても哀しみが前面に溢れ、骨太で、どこか鬱積した心の叫びの投影として映る。
磨きに磨き抜かれ、どちらかというとモーツァルトを奏するに相応しいアルバン・ベルク四重奏団の方法に対し、カルミナ四重奏団のシューベルトは荒々しい。居ても立ってもいられぬという切迫した表情は晩年のシューベルトの深層にある焦りを見事に射抜くよう。
シューベルト:
・弦楽四重奏曲第14番ニ短調D810「死と乙女」
・弦楽四重奏曲第13番イ短調D804作品29-1「ロザムンデ」
カルミナ四重奏団(2000.10.25-28録音)
僕はこの世でもっとも不幸で、哀れな人間だと感じている。考えてみてほしい、健康が回復する見込みがもはやなく、その絶望から物事を良い方にではなくどんどんと悪い方向へもっていくような、そんな人間のことを。考えてほしい、輝いていた希望が無に帰し、愛と友情の幸福がこの上ない苦痛しかもたらさず、美に対する熱狂も消えゆこうとしているような人間のことを。
1824年3月31日付クーペルヴィーザー宛手紙
~作曲家別名曲解説ライブラリー17シューベルトP94
シューベルトが絶望に喘げば喘ぐほど類稀な名曲が生れるという自己矛盾。手紙では友人に悲観しか洩らさないが、彼のあの冗長さは生きることへの諦めのつかない執念だ。何としても克服したいという実に前向きな想いが通底するように僕には感じられる。
「ロザムンデ」四重奏曲の第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポは終わりなく美しい。いつまでもこの音楽の中に浸っていたいと思うほど優しく、そして柔らかい。続く第2楽章アンダンテの切なく可憐な旋律は彼の生み出した音楽の中でもおそらく群を抜く有名なもので、作曲者自身とても気に入っていたもの。カルミナ四重奏団の面々は音符のひとつひとつに想いを込めるように丁寧に音楽を創ってゆく。第3楽章メヌエットの何という重苦しさ。モーツァルトなら決してこんな舞踏音楽は書かなかっただろう。でも、シューベルトはあまりに正直だ。自身の本意を隠す術を知らないかのよう。
シューベルト自身は言葉の上では「美に対する熱狂も消えゆく」と表現するが、この作品を聴くと決してそうは思えない。どの瞬間も透明であまりに・・・。
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