如月小春の絶筆は、「寺山さんの眼」という、尊敬する寺山修司が、如月が主宰する「駒場小劇場」の公演最終日に予告なく突然現れたときの驚きと感動を認めたエッセイだ。
けれども、もはや、やめられないと思った。私の一人合点かもしれない。けれども、寺山さんが、あの日、あのドラム缶の傍らで、〈君、続け給え〉とあの眼の奥で私に向けて言っていたような気がしたのである。それも、我儘に自分を通して、いかに険しくとも、再先鋭のところで時代と向き合うように生きろと。
そんなこと出来ません、と、その時私は言えなかった。そのくらい寺山さんの眼差しは哀しく、そして激しかったのだ。
~西堂行人+外岡尚美+渡辺弘+楫屋一之編「如月小春は広場だった 60人が語る如月小春」(新宿書房)P11
44歳で病に倒れ、急逝した如月小春は、時代を引っ張る、否、先を行く女性だった。彼女はかく語る。
楽しいだけが芝居じゃない、それをやることによって、癒しの効果もあるし、もっと深いコミュニケーションが生まれることがある。それは形となって残らなくても、生きていく上でのある種の自信や絆みたいなものになっていくことがある。そういうことを可能にする力を持っている演劇を仕事としているというのは、すごく幸せなことだと思ったんですね。
(「ふじのくに 舞台芸術フォーラム’96 報告書」1997年3月)
~同上書P13
彼女は、行うことの大切さを、舞台を通じて僕たちに教えてくれた。
それにしても癒しやコミュニケーションの重要性を謳う如月が、クモ膜下出血が原因で突然逝ってしまうとは。
40年ほど前、ある雑誌のインタビュー記事の中で、如月が舞台の合間によく聴く愛聴盤を紹介していたように思う。遠い過去のことで、その内容はすっかり記憶の彼方だが、紹介されていた音盤のことは明確に憶えている。その記事に興味を持ち、早速そのレコードを仕入れ、僕は繰り返し聴いた。
それは今でも僕の座右の盤だ。
おそらくメータ随一の名演奏(メータをほとんど聴かないので、僕の勝手な思い込みかもしれないが)!!「復活」交響曲の規範となるような劇的な、温かみのある、生々しいパワーにあらためて感動する。第1楽章から終楽章まで、集中力の途切れない圧倒的な音の力。緻密な録音で、2人の独唱者、ルートヴィヒもコトルバスも実に素晴らしい歌唱を聴かせる。そして、何よりウィーン・フィルの、渾身の合奏に涙が出そうなほど。
僕が最も心動かされるのは、ルチアーノ・ベリオが「シンフォニア」作曲のベースにした第3楽章スケルツォの、喜びに溢れる音楽と、続いて間髪置かず進められる第4楽章「原光」での神々しいルートヴィヒのアルト!!
おお、赤い小さな薔薇よ!
人間はこの上ない苦悩の内にある!
人間はこの上ない苦痛の内にある!
むしろ私は天国にいたい!
解脱を求めたマーラーは、悟ることなく志半ばで斃れたが、ここでのメータの音楽作りは、あの世の幸福を示さんとする、淡い夢のような音調だ。それはまるで、如月小春の人生に同期するかのよう(彼女はまさか自分が夢半ばで逝ってしまうとは想像もしていなかっただろうが)。最高だ。