厳かに始まり、フレーズごとにためを作る第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ―ウン・ポコ・マエストーソが断然素晴らしい。無心で音楽に突き進む指揮者とオーケストラの阿吽の呼吸に快哉を叫ぶ。
音楽の流れが自然と一体になる妙というのか、古い録音を超えて聴こえてくるのは、まるで生きているかのような息遣いだ。
間違いなくヴィルヘルム・フルトヴェングラーの「第九」。
アンドレアスは父親の自然への愛についてきわめて鮮明に記憶している。
私はよく散歩に連れて行かれましたが、その折、父は葉や花や動物の細部にわたって説明してくれたものです。父はまた、とかげや蛇が好きでした。よく覚えていますが、私が父と散歩しているとき、レマン湖のほとりで、男の子たちが蛇を石で殺そうとしていました。父はそれに気づいて激怒しました。そして、男の子たちに向かって、やめなさい、と怒鳴りつけたのです。
~サム・H・白川著/藤岡啓介・加藤功泰・斎藤静代訳「フルトヴェングラー悪魔の楽匠・下」(アルファベータ)P384-385
おそらくフルトヴェングラーは性格的には問題があった人なのだろうと思う。
得てして美化された評伝をそのまま鵜呑みにはできないが、それでも、彼の心底にある愛情、博愛、そういうものを息子の言葉から垣間見ることはできる。
まさに第3楽章アダージョ・モルト・エ・カンタービレの慈悲。いつのどの演奏で聴いてもフルトヴェングラーのこの楽章は崇高だ。健康を害する前の、このウィーンでのライヴ演奏も祈りに満ち、また充実していて素晴らしい。
燃えに燃え、崩壊寸前までドライヴのかかる、火を噴く圧倒的コーダを持つ終楽章が俄然素晴らしい。冒頭プレストの覇気、そして低弦による主題のたおやかさ。さらに、ペルのレチタティーヴォの人間味のある生々しさ、残る3人の独唱者たちとの絡みも堂に入り、合唱による「歓喜の歌」の深い精神性には涙を禁じ得ない。
ところで、それからわずか2年と数ヶ月の後、フルトヴェングラーは68歳で息を引き取るのだが、死に直面するフルトヴェングラーの姿を簡潔に描くエリーザベト夫人の言葉に言葉を失う。
1954年11月30日、死神が迎えに来たとき、エリーザベトはそこにいた。ベルタ・ガイスマールの母親が哀悼の手紙を送った。エリーザベトは返信をしたためた。
もう観念していたのでしょうが、夫は死の直前まで完全に意識がありました。悲しみもなく、まさに謙虚に死を迎える立派な様子でした。私はただ一人、彼と一緒にいました。最後の息を引き取るまでずっと手を握ったままでした。
~同上書P385