
19世紀の広大なる北の大地から、一歩も二歩も先を行くモデスト・ムソルグスキーの革新。こういう天才と言われる人は、人の判断を必ず超える。まさに人智を超えるのだ。
世間に最も広く流布されている迷信の一つは、人間というものはそれぞれ固有の性質を持っているものだということである。すなわち、善人とか、悪人とか、賢人とか、愚者とか、精力的なものとか、無気力な者とかに分れて存在しているという考え方である。だが、人間とはそのようなものではない。ただわれわれはある個人について、あの男は悪人でいるときよりも善人でいるときのほうが多いとか、馬鹿でいるときよりもかしこいときのほうが多いとか、無気力でいるときより精力的であるときのほうが多いとか、あるいはその逆のことがいえるだけである。かりにわれわれがある個人について、あれは善人だとか利口だとかいい、別の個人のことを、あれは悪人だとか馬鹿だとかいうならば、それは誤りである。それなのに、われわれはいつもこんなふうに人間を区別しているが、これは公平を欠くことである。人間というものは河のようなものであって、どんな河でも水には変りがなく、どこへ行っても同じだが、それぞれの河は狭かったり、流れが早かったり、広かったり、静かだったり、冷たかったり、濁っていたり、温かだったりするのだ。人間もそれとまったく同じことであり、各人は人間性のあらゆる萌芽を自分のなかに持っているのであるが、あるときはその一部が、またあるときは他の性質が外面に現われることになる。そのために、人びとはしばしばまるっきり別人のように見えるけれども、実際には、相変らず同一人なのである。
~トルストイ/木村浩訳「復活 上巻」(新潮文庫)P419-420
野趣溢れる音、赤裸々な声。
ムソルグスキーの音楽は、触れれば触れるほど、その見事な求心力に言葉を失う。
歌曲集「死の歌と踊り」に相前後して書かれた歌曲集「日の光もなく」が出色。
それにしてもムソルグスキーの選択する題材の主題は暗い。
しかしながら、第1曲「周囲を壁に囲まれて」は、ピアノの前奏から不思議な明るさと透明さに包まれる。あるいは、第4曲「退屈するがいい」の退廃的響き。
退屈するがいい。貴方はそのために生まれた。
退屈するがいい。うつろな心で愛の言葉を聞き、真の夢に偽りで応え。
第5曲「エレジー」の、感情の奔流激しい音の波に僕は嘆息する。セルゲイ・レイフェルクスの表現の巧さよ。