1949年エディンバラ音楽祭

ferrier_walter_1949.jpg「私が生まれて以来、これほどまでに傑出した音楽家には出会ったことがありません」
1951年、カール・シューリヒトはパリのシャンゼリゼ劇場で、毎日のようにカスリーン・フェリアーとヘンデルやパーセル、グルックなどを演奏していたということだが、その時に指揮者と音楽院演奏協会管弦楽団理事との間に交わされた書簡には、シューリヒトが彼女の類稀な才能と比類ない表現力を絶賛する言葉に溢れている。
カスリーン・フェリアー。癌のためわずか41歳でこの世を去ったこの不世出のコントラルト歌手は、ブルーノ・ワルターの薫陶を受け、一気にスターダムに伸し上がった天才である。何ともほの暗い憂いを帯びた声質には、始めて耳にした時、寒気を催したほど。とても人間の声に思えないのだ(幽界から発せられる声というか音のよう)。その時僕が聴いたのは、ご多聞に漏れず、ワルターとDECCAに録音したマーラーの「大地の歌」。古いモノラル録音ながら音質は極めて聴きやすく、十分に今でも通用する名録音だ。当然ながら彼女の生の声に触れたわけではないので、コメントをする資格は全くないが、ブルーノ・ワルターやカール・シューリヒトが一目惚れならぬ一耳惚れしたくらいだから、その実力たるや相当なものだったのだろう(こういう稀有な天才は得てして早死にするものである)。

今日は1949年にワルターのピアノでエディンバラ音楽祭に出演した時の実況録音を久しぶりに取り出す。

1949年エディンバラ音楽祭ライヴ!
・シューベルト:死と乙女D531
・ブラームス:死は冷たい夜作品96-1
・シューマン:歌曲集「女の愛と生涯」作品42ほか
カスリーン・フェリアー(コントラルト)
ブルーノ・ワルター(ピアノ)(1949年9月エディンバラ音楽祭でのBBC放送実況録音)

彼女の声はシューベルトには似合わない。どうも暗過ぎて、シューベルトの本当の良さが後方に追いやられてしまう。それより、さすがにネクラで頑固なブラームスにはぴったりで、「死は冷たい夜」作品96-1など、ゾクゾクするほど。さすがはフェリアー!
そして、当日のメイン・プログラムであるシューマン「女の愛と生涯」!!1840年、いわゆる「歌の年」に生み出されたこの音楽は、まさに愛するクララとの結婚がようやく成立し、幸福の絶頂に書かれた傑作なのである。フェリアーの歌唱に寄り添うように紡ぎ出されるワルターのピアノ演奏は、決して完璧とはいえないものの、愛弟子をまるでわが子のように可愛がる好々爺のようで、彼女の歌声をすっぽりと包む包容力に溢れている。指揮者のピアノでは、フルトヴェングラーがシュヴァルツコップの伴奏で「ヴォルフ歌曲集」を披露した録音が有名だが、ピアノ専門でない音楽家のピアノ演奏って妙に惹き込まれるから不思議である。

ところで、人って一般的には自分を振り返ることを日常的にはあまりしないようだ。「したがらない」のではなくそういう概念、感覚がそもそもないみたい。あまり自分自身に「問題意識」を持たない人が多いのかな?世の中があまりに平和だからなのか、こんなものかなと日々いろいろなことを見過ごして生活しているのだろう。別に、そうしょっちゅう自問自答する必要もなかろうが、少なくとも自分自身の掘り下げ、自分への問いかけはした方が格段に成長すると思うのだが・・・。余計なお世話か・・・。


4 COMMENTS

岡本先生、こんばんは。
「自分を振り返る」ということについてですが、それをしないことにより、人間関係での躓きを繰り返すのは、なんとも苦しいことだと思います。自分自身を振り返れないと、「われ先に」とか「相手を責める」という状況になり、それはいずれ自分自身に跳ね返ってくることになると思います。自分もそうでした。
そりゃあ、人間だから人と衝突することはあるのは当然ですが、衝突による傷をできるだけ小さくしたり、衝突を回避することができる可能性もありますから、自分自身を振り返ることができればいいですね。自分自身を振り返れない人は、「依存心」が強いのでしょうね。
私もまだまだですが、余裕がなく「その言い方ムカつく」と一瞬思った時こそ、「しかし、自分はどうかな。」とか「この人のお陰でXXX。」などとなるべく考えるようにしています。

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雅之

おはようございます。
①シューマン「女の愛と生涯」について
今では極めて古い女性観と言わざるを得ない、シューマンがこの歌曲集で題材にした連作詩を書いた、アーデルベルト・フォン・シャミッソー(1781-1838)という人の人生にも興味があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%BD%E3%83%BC
「1815年には植物学者としてロシアの探検船「ルーリク」に乗り組み世界一周の旅に出た。この途上、サルパ(原索動物)の研究から世界で初めて世代交代を発見しているが当時は注目されなかった。1818年に帰還するとベルリン植物園園長および科学アカデミー会員となった。1820年(39歳)には若い女性(16歳!雅之調べによる・・・笑)と結婚している」なんてところ、とても面白そう! たぶん若い新妻が「じゃじゃ馬」だったので、従順になって欲しくてこの連作詩を書いたんじゃあないですかね(笑)。
②カスリーン・フェリアーについて
ご紹介の盤は未聴で、彼女の歌は有名なワルターとのマーラー「大地の歌」しか聴いたことがありません。クレンペラー盤との決定盤争いは、フリッツ・ヴンダーリヒ(35歳で事故死)との悲劇争いみたいなところもありますね。私は「大地の歌」の録音のフェリアーの歌唱については、世評と違い、少しピンと来ないところがありますので、もう少しいろいろ聴き込んでみたいと思っています。
③>人って一般的には自分を振り返ることを日常的にはあまりしないようだ。「したがらない」のではなくそういう概念、感覚がそもそもないみたい。
大半の人は、現実から無意識のうちに目を逸らしているのだと思います。
「エヴァ」のシンジじゃないですけど、「ぶれない」よりも「逃げない」ということのほうが大切だと私は思っています。
「逃げな」かった人生なら、たとえ35歳や41歳で死んでも、悔いのない最高の人生だと思います。

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岡本 浩和

>茂様
おはようございます。コメントありがとうございます。
>「われ先に」とか「相手を責める」という状況になり、それはいずれ自分自身に跳ね返ってくることになると思います。
>自分自身を振り返れない人は、「依存心」が強いのでしょうね。
おっしゃるとおりですね。心理学的には「自己を認識、分析できない人を心身症と呼ぶ」というくらいですから、「心身症」まではともかく「依存症」といえるかもしれません。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
アーデルベルト・フォン・シャミッソーの人生、おっしゃるとおり面白そうですね。
>たぶん若い新妻が「じゃじゃ馬」だったので、従順になって欲しくてこの連作詩を書いたんじゃあないですかね
なるほど、ありえます!(笑)
>私は「大地の歌」の録音のフェリアーの歌唱については、世評と違い、少しピンと来ないところがあります
おっしゃりたいニュアンスわかります。僕はこの音盤によって「大地の歌」を刷り込まれてるので、冷静には判断できないですが。今回のエディンバラでのライブを聴いてみてもそうなんですが、一度に何度も繰り返して聴けないんですよね、彼女の声は。疲れるというか何というか・・・。
いずれにせよ僕もそれほどフェリアーを聴き込んでいるわけではないので、勉強が必要です。
>「エヴァ」のシンジじゃないですけど、「ぶれない」よりも「逃げない」ということのほうが大切だと私は思っています。
まさに!逃げなければ本当に悔いはなくなりますよね。
今日もありがとうございます。

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