
夢を打ち破り、現実に引き戻す力。
まるで「目覚めよ!」と諭すようにその音楽は響く。どんな音楽も決して心地良い音とはいえぬ。むしろ近寄り難く、厳めしく、冷徹だ。エフゲニー・ムラヴィンスキーの演奏は、そういう視点からいうと、真理の顕現だ。
ベートーヴェンを聴いた。
少しの情も入らぬ、否、知性すら感じさせぬ、いわば「空(くう)」の表現だ。
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」。
ベートーヴェンが、大自然に浴する人間の魂の浄化と歓喜を音化した最大の傑作を、彼は、これでもかと言わんばかりに一切の色香を捨て、ただひたすら絶対音楽として描き切ろうとする。そのエネルギーはフルトヴェングラー以上だ。
第1楽章「田園の到着の際、人間にわき起こる心地よい、陽気な気分」は、「陽」というよりむしろ「陰」を表出するもののように聴こえるが、実際はその「中」をいくものだ。結論たる終楽章「牧人の歌―嵐の後の、快い、神への感謝と結びついた感情」を無心に聴き給え。まさにすべてを一つに統べ、第九の精神たる「皆大歓喜」につなげんとする希望の光に満たされる。コーダのあまりの静寂に僕は昇天する。
鋼のような交響曲第7番イ長調作品92。
内に向かって炎の塊のようになったムラヴィンスキーの熱が、音に乗せられ、僕たちの魂に届く。モノラルゆえ、音の力は確かに弱い。しかし、虚心に耳を傾け、その実体を探り当てたときの喜びは望外だ。推進力抜群の何というベートーヴェン。やはり結論たる主楽章を聴いてみよ。アレグロ・コン・ブリオの熱波が僕を幻想から引きずり出してくれる。現実を見よ。否、真理を捉えよ、と。
おじゃまします。このCDを聴いてみました。甘さの少しもない、透徹した演奏、という印象でした。「田園」も「7番」も鋼のように力強く推進していく、といった・・・特に「7番」はリズム感がシャープで、4楽章がめずらしくかっこいい、と思いました。「田園」も「7番」も、途中なにかバレエ音楽を聴いているような錯覚に捕らわれました。なぜでしょうか。ロシア的な何かがあるのでしょうか。多分ただの錯覚でしょう。やはり、ベートーヴェンはとてつもなく魅力的だと改めて思いました。ありがとうございました。
>桜成 裕子 様
ムラヴィンスキーのベートーヴェンは、なぜか他の演奏と違うんですよね。
格別の何かが潜んでいるように僕はいつも感じます。
やっぱり実演に触れられなかったことが悔しいです。