下野竜也指揮読売日本交響楽団第594回定期演奏会

胸のすくような快演。
読売日本交響楽団の奏者個々の類稀な力量と、その力が一つになったときのシナジーの素晴らしさを体感した。下野竜也も語っているが、この二元世界の葛藤を表現し、また対立を音楽によって見事に解消、表と裏を統合する如くのプログラムの妙を存分に味わった。

冒頭、ショスタコーヴィチの弦楽合奏によるエレジーの、水墨画のような繊細な美しさ。体制に翻弄される作曲家の、束の間の休息と安寧。水も滴る潤いある音調に癒された。
そして、ジョン・アダムズのサクソフォン協奏曲の、明朗かつアクロバティックな響きは、作曲者曰く、チャーリー・パーカーやスタン・ゲッツ、エリック・ドルフィらの影響なのだという。ただし、上野耕平のサクソフォンは思った以上に堅牢かつ正統な印象。もっと自由に!もっと不埒に!と僕などは煽りたくなったのだが、そういう意味での踏み外しは一切なし。真面目な人なのだろう。それでも、アンコールのテュドール「クォーター・トーン・ワルツ」は十分に面白かった。

読売日本交響楽団第594回定期演奏会
2020年1月15日(水)19時開演
サントリーホール
上野耕平(サクソフォン)
日下紗矢子(特別客演コンサートマスター)
下野竜也指揮読売日本交響楽団
・ショスタコーヴィチ:エレジー(1931)
・ジョン・アダムズ:サクソフォン協奏曲(2013)
~アンコール
・テュドール:クォーター・トーン・ワルツ
休憩
・フェルドマン:On Time and the Instrumental Factor(1969)(日本初演)
・グバイドゥーリナ:ペスト流行時の酒宴(2005)(日本初演)

後半のモートン・フェルドマンの8分ほどの” On Time and the Instrumental Factor”は確かに素晴らしかったのだが、続くグバイドゥーリナの大管弦楽作品にかき消された様子(もはや前奏の意味しかなさないような)。「ペスト流行時の酒宴」は、主題となる音響が反復され、そのたびに完膚なきまでに打ちのめされる強烈な音楽だった。オーケストラの金管群のものすごい咆哮に驚嘆し、打楽器群の爆発的打撃にも震撼、そして、弦楽器の艶やかで繊細な音に思わず唸った。
この作品は日本初演ということだったが、何の前知識もなく聴いた僕の想像は、ボッカチオの「デカメロン」に至った。

このような事柄から、またこれに類するたくさんの他の事柄やらもっとひどい事態から、生き残った者たちの心に恐ろしい想像が芽生えた。それでみなが、ほとんど同一のはなはだ残忍な目的へと、すなわち病人とその持ち物を避けて逃げることへと向った。そうすることによって、誰もが自分だけは健康を保てるものだと信じた。そしてなかには、節制と過度を一切慎むことが万一のさいに役立つと主張する者もいた。そういう連中は、徒党を組み、他の人びとから離れて生活し、病人のいない家や安んじて暮らせる家に寄り集まっては、隠遁の生活をして、美味な食物と最上の葡萄酒を適度に味わい、あらゆる奢侈を避け、他人に話しかけられることを恐れ、外界や死や病気についての情報を一切聞こうとせずに、音楽やら持ちうる限りの楽しみを味わいながら、日々の生活を送っていた。
(第一日―序)
ボッカッチョ/河島英昭訳「デカメロン上」(講談社文芸文庫)P21

ソフィア・グバイドゥーリナのインスピレーションはこの行に発するものなのかどうなのか。まさに無手勝流の、ただし整然とした印象の音楽に僕は終始のけ反った。

他方、まったく逆の意見に引かれて、大酒を飲み、逸楽に耽り、歌を唱い、面白半分に出歩いて、ありとあらゆる欲望をみたし、何事が起こっても笑いとばして、万事を冷やかすことにこそあの悪疫に対する最も確かな治療法があると広言する者もいた。そして言ったとおりのことを実行に移して、昼夜もわかたずにあちらの酒場へこちらの酒場へと歩きまわり、やみくも酒をあおっては、しまいに他人の家へ押しかけて、したい放題のことをする始末だった。
~同上書P22

何にせよ14世紀のイタリアはフィレンツェを襲ったペストの猛威は、現代の僕たちの想像を絶するものだったことは確かだ。どんな考えに至ろうが、酒宴とは逃避に過ぎない。暗澹たる外の風情と内の狂乱をこれほどまでに巧みに音化したグバイドゥーリナの創造力の、また作曲能力の勝利と、それを溌剌と、しかも容易に再現した下野竜也の才能の爆発。
降参である。

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