
母から手紙。次の木曜日に来ることになった。久しぶりの四重奏。いつもの3名がチューリヒからやって来て、リヒターを加えて《イ短調》を演奏した。とても深い感銘を受ける。それから作品95と作品74。すばらしいところもあるが、リヒャルトの言葉を借りれば、やや「冷たい音楽」。ベートーヴェンは名前が知れて注文がたくさん舞い込むようになった時期に、それまでの作品を引っぱり出し、少しばかり手を加えて出版したとリヒャルトから聞かされる。
(1871年3月19日日曜日)
~三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記2」(東海大学出版会)P385
ベートーヴェンの創造行為が、やはりパンのためであったことがリヒャルト・ワーグナーの言葉からもわかる。コジマの、本来公開されるはずのない日記の赤裸々な心情吐露や、また克明な夫婦のやり取りから得られる音楽史の舞台裏(?)の解明は実に興味深い。コジマにとっても、もちろんリヒャルトにとってもイ短調作品132は特別な音楽だった。
スメタナ四重奏団によるいぶし銀の名演奏を聴いて、晩年のベートーヴェンの崇高な、深遠な思索を思う。たとえそれがパンのための行為であったとしても、人間業を超えた、神から授かりし賜物だと表現しても言い過ぎではない。
コジマは続ける。
音楽を聴くうちに、自分がどれほど深くリヒャルトを愛しているか、ますます強く自覚させられる。生とは離ればなれの状態でしかないように思われる。「永遠に離れることなく、ひとつになる ewig einig ungetrennt」ために望むらくは死! リヒャルトと二人で逃げるようにわたしの部屋へ転がり込み、自分の気持ちを伝えると、彼はわたしのことを「わが青春、わが魂」と呼んだ。
~同上書P386
このとき、齢57のワーグナーが愛するコジマに投げかけた「わが青春、わが魂」に、僕は思わず感応する。
弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132第3楽章モルト・アダージョ―アンダンテの静かな祈りと内心弾ける愉悦に言葉がない。闇を溶かすような光の柱よ!!
そして、最後の四重奏曲の、澄んだ、抜け切った、透明な音楽美の体現。ここにあるのは「無」だ。「真空」だ。
眠れない。宗教的な気分に深くひたり、死者のこと、生きている人たちのこと、わたし自身のこと、自分がいかにとるに足らぬ人間であるかということ、この希望に満ちた時を迎えてリヒャルトのために生きるという名付けようもないほどの幸福について考える。
(1871年1月29日日曜日)
~同上書P325
コジマは愛する他者への貢献と自意識の間で壮絶な葛藤を起こしていたのだと思う。そんな苦悩の中で彼女を癒したのは、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲たちだった。
嬰ハ短調の四重奏と《かくあれかし Es muß sein》を練習。トリープシェンは、またまた大いなる喜びにつつまれる。
~同上書P326
幻のような、不思議な感覚を喚起する短い第2楽章ヴィヴァーチェの陶酔。
そして、第3楽章レント・アッサイ・カンタンテ・エ・トランクィロの安息。終楽章グラーヴェ,マ・ノン・トロッポ・トラットに内在する生命力。どこをどう切り取ってもスメタナ四重奏団の力量が光る。
おじゃまします。コジマさんの日記はとても興味深いですね。
ワーグナーたちはベートーヴェンの弦楽四重奏曲を演奏し、楽しんでいたんですね。
それを聴いて、コジマはリヒャルトへの愛の深さや共に生きる歓びを深めていたのですね。素晴らしい、貴重な証言だと感じます。
「やや冷たい。」というのは「セリオーソ」のことでしょうか。わかる気がします。でも「ハープ」はどちらかというと暖かいと思うのですが…ちょっと得体のしれない凄みのあるラズモフスキー3部作から一転、前の親和的なハーモニーに回帰した感がある作品と思います。
「パンのために作曲しなければならない」というのはフランツ・ブレンターノ宛の「ミサソレムニス」が遅れる言い訳を展開している手紙の中に出てきましたね。ピアノソナタ30番、31番がそれにあたるようですね。また「パンのために作曲しなくてはならないことはつらいこと」という手紙もあり、それはハンマークラヴィーアソナタのことだとか。「ベートーヴェン像再構築」の中では、演奏活動から引退を余儀なくされ、収入が概ね楽譜出版によるものになったベートーヴェンが、お金にならない宗教曲の作曲を一時中断し、売れ筋のピアノ曲を書かざるを得なくなった、とありました。生活のために気に沿わない仕事をする、というのではなく、生活の糧を得る目的で作曲するのがつらい、と言っているのではないか、との考察がありました。なるほど、と思いました。
ベートーヴェンは作曲のための種が詰まっているスケッチ帳を大切に保管していて、その中から種を取り出し、作品を創り上げていった、とも書かれていました。
楽譜が売れるものとして弦楽四重奏があり、ロシアのガリツィン侯爵から3つのカルテットの注文があったのを機に始まった後期弦楽四重奏の作曲。15番の3楽章の感謝の祈りの敬虔、16番3楽章の愛しさ、哀切…たとえ人からの注文だったとしても、そこにはベートーヴェン自身の芸術への献身、感慨、情感が刻まれている、と感じました。今はラサール、ハンガリー、グァルネリ、ベルリン等で聴いていますが、スメタナカルテットも聴いてみたいと思います。ありがとうございました。
>桜成 裕子 様
「コジマの日記」は予定より刊行が大幅に遅れていて、いまだ3巻しか出ておりませんが、実に興味深い書物ですので一読をお勧めします。ワーグナーを特別愛好する方でなくとも、ベートーヴェン愛好者は必須です。ベートーヴェン解読のヒントがコジマの思念を通して満載だからです。
後期四重奏曲については、スメタナ四重奏団がぶれがなく特に素晴らしいと思います。