音楽が戦闘的に、動きとうねりをもって奏される様子に、僕はいつも舌を巻く。
ドミトリー・ショスタコーヴィチの洗礼というのか、はたまたエフゲニー・ムラヴィンスキーの冷徹な、一切の感情を排した専制主義的な(?)解釈とでもいうのか。旧ソヴィエト連邦の体制をなぞらえた音楽による煽動は、実に心に堪える。
もしも私が自分の生涯のおもな出来事について尋ねられたなら、私はそのアンケートの質問にこのように答えるだろう。
一生で最も重要な出会いは
—ショスタコーヴィチとの出会い
最も深い感銘を受けた音楽は
—ショスタコーヴィチの作品
演奏活動において最も重要なことは
—ショスタコーヴィチの作品の研究
指揮者として最も困難なことは
—ショスタコーヴィチの交響曲初演を準備したときの“産みの苦しみ”、障害そして抵抗
(エフゲニー・ムラヴィンスキー)
~V.S.グリゴローヴィチ「ショスタコーヴィチ&ムラヴィンスキー 時間の終わりに」(アイエスアイ)P51
少なくとも創造という意味において、二人の天才は互いに影響し合ったことは間違いない。
ムラヴィンスキーにとって生涯の重要作であったショスタコーヴィチの音楽は、ムラヴィンスキーの手によって新たな生命を吹き込まれ、重戦車の如く僕たちの魂を鼓舞する。
帝政ロシアの崩壊を描く交響曲第12番ニ短調作品112。
第1楽章「革命のペトログラード」冒頭低弦のユニゾンによる主題の深遠さに端から釘付け。間違いなくムラヴィンスキーの音(これが公式上、ムラヴィンスキーの最後のレコーディングだそうだからそれだけで感慨深い)。
・ショスタコーヴィチ:交響曲第12番ニ短調作品112「1917」
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団(1984.4.30Live)
第2楽章「ラズリフ」の静けさは、革命前のレーニンの思念の表象だが、ムラヴィンスキーの表現によると何と不気味さを増すのだろう。また、労働者の蜂起を告げた巡洋艦の名を標題に持つ第3楽章「アウローラ」では、レニングラード・フィルの強力な金管群と猛烈な打楽器群の強奏がものを言う。戦いの狼煙がここで上がるのだ!
アタッカで続く終楽章「人類の夜明け」は、ベートーヴェンの第九のパロディなのだろうか、開放的な歓喜の音楽が、聴く者の心を満たす。
それにしてもムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの音楽に惚れ込み、確信を持っていることが明白。
本質的に、これはこの作曲家が、この様式にある「古典的な」符号を遵守する伝統的なソナタ・アレグロを、初めて満足いくように実現したものである。頂点が非常に正確に作られ、それと対照を満たすように、この部分が何と素晴らしく聴衆の良心の中で前面に出され、何と巧みに与えられ、主題材料が展開することか! ここに様式の演出が見事な職人芸で達成されている。
(エフゲニー・ムラヴィンスキー)
~ グレゴール・タシー著/天羽健三訳「ムラヴィンスキー高貴なる指揮者」(アルファベータ) P243
これ以上の演奏は後にも先にもないのだと思う。
晩年のムラヴィンスキーの指揮は、信じられないほどの集中力をもってなし遂げられていた。オーケストラの緻密な響きがそのことを如実に物語る。
1980年代中期には、コンサート活動が非常に衰退していたが、それにしても、エフゲニー・ムラヴィンスキーがレニングラードの作曲家アンドレイ・ペトロフに「自分の夢は舞台に出て行くことではなく、スタジオに坐って聴衆のいない所でレコードを作ることだ」と打ち明けていたのは驚くべきことである。ムラヴィンスキーは1984年には2回しかコンサートを行なわず、1986年には3回だった。そして、1987年に最後の夕べとなる。
~同上書P325-326
黄昏時の最後の光のように音楽は希望をもって。