メルニコフ ショスタコーヴィチ 24の前奏曲とフーガ作品87(2008&2009録音)

抑圧された負の感情が外に向かうとき、偉大なる大交響曲が生まれたのだろうか、それは拡張されたマクロ・コスモス。一方、それが内に向かうとき、静謐で祈り高き器楽曲が生まれたのではなかったか、実に深遠で高貴なミクロ・コスモス。

あのリムスキイ=コルサコフでさえ、音楽はモーツァルトからはじまると考えていた。ハイドンはすでに疑わしかった。バッハはただ退屈なだけの作曲家とみなされていた。バッハ以前の時期についてはもはや言うまでもない。多くのわたしの友人たちにとって、それはなにか一面の砂漠のように考えられていた。
ソロモン・ヴォルコフ編/水野忠夫訳「ショスタコーヴィチの証言」(中公文庫)P115

おそらく、「そのとき」までショスタコーヴィチもバッハを随分侮っていたのだろう。彼は、1950年、ヨハン・セバスティアン・バッハに触発され、空前絶後の24の前奏曲とフーガを書き始めた。

凍てつく国の、白い吐息を超えた、透明な音。
そこには闇はない。当然光もだ。ただひたすらに、美しい音楽が鳴るのみ。

かつてアレクサンドル・メルニコフの実演に僕は震えた。
精神の奥底にまで収斂されてゆく音の一粒一粒に、僕は作曲者の魂の慟哭を聴いた。
一切の緩みない、一点の曇りもない前奏曲とフーガに、音楽のあまりの美しさに卒倒した。

金銭問題はショスタコーヴィチにとって、相変わらず差し迫った問題であった。彼は養うべき大家族を抱えていた。子供たちの乳母と家政婦に加え、運転手も雇っていた。レニングラードにいる母と姉にも定期的に送金していた。彼はチャイコフスキーを援助したメック夫人のような女パトロンがいたらと夢想した。
ローレル・E・ファーイ著 藤岡啓介/佐々木千恵訳「ショスタコーヴィチある生涯」(アルファベータ)P235

創造的天才にすら天は容赦ない(すべては魂の成長のため)。
真実と虚像の狭間でいかにバランスをとるのかを誰もが問われるのである。1950年代当時、ショスタコーヴィチにとって食い扶持となるのはポピュラーな合唱音楽やレコードだったが、その傍らで産み落とされた傑作が巨大な「24の前奏曲とフーガ」だったのである。

・ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ作品87
アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)(2008.5&12, 2009.3録音)

渾身のショスタコーヴィチ!
音楽はときに爆発するも終始沈思黙考状態。
思念するメルニコフのピアノは、演奏者を感じさせない自然の流れに沿った理の体現か。
彼は、演奏したいと思ったときからすべての録音を聴き込んだらしいが、最も気に入っているのは作曲者自身の演奏なのだとか。確かに、ショスタコーヴィチの演奏は、作品と一体となった、他にはない説得力を持ったものだ。
メルニコフは語る。

特に、15番の前奏曲は非常にモダンな音楽です。まるで1920年代のストリート・ミュージックのように感じることさえあります。それと対照的に16番はバロック以前の音楽のような作風で、この2曲は突出しています。
メルニコフ「アフターパフォーマンス・トーク」レポート

前奏曲第15番変ニ長調アレグレットは、ショスタコーヴィチのいつもの二枚舌的アイロニーが活発に動く(We wish you a marry Christmas!)。しかし、それよりも(短い)4声のフーガ(アレグロ・モルト)のモダンな音調こそ強烈。さらには、前奏曲第16番変ロ短調アンダンテの恍惚の静けさと(長い)3声のフーガ(アダージョ)の一層静かで、また虚ろな表情に安息を覚えるのである(なるほど確かに中世の宗教音楽のようだ)。何て美しいのだろう。

グラズノフは、ジョスカン・デ・プレ(1440~1521)やオルランド・ディ・ラッソ(1532~94)といったフランドル楽派の作曲家、パレストリーナ(1525~94)やガブリエーリ(1554/57~1612)といったイタリアの作曲家に感嘆していた。最初のうちこそ、難解で退屈に思えていたものの、わたしもそれに感嘆せずにいられなくなった。
ソロモン・ヴォルコフ編/水野忠夫訳「ショスタコーヴィチの証言」(中公文庫)P115

ちなみに、前奏曲第17番変イ長調アレグレットなど、完全にエニドの音楽だ。ショスタコーヴィチはロック音楽にも影響を与えたのである。後にも先にも彼のような音楽家はいない(唯一匹敵するのはベートーヴェン)。

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