シューベルト:歌曲集「白鳥の歌」

シューベルトの最晩年の歌曲集「白鳥の歌」については詩の上でも音楽の上でも内容が深過ぎて、何をどのように書けば良いのかいつも躊躇が先立つ。そもそもシューベルト本人の意思は反映されていない。これらの歌を作曲後ほんの3ヶ月ほどで作曲者は逝ってしまうのだから。全15曲のうち、やっぱりハインリヒ・ハイネの詩に曲をつけた後半に真髄があると僕は思う。いや、「真髄」などという大袈裟な言い方は止そう。単に僕自身が好きだという理由に過ぎない。

奇しくも自分と同年に生まれたハイネの、1823年から24年にかけて創作された「帰郷」(全100編)から6編を選び、シューベルトは音楽をつけた。何よりその音楽の透明感と神々しさは、最晩年とはいえわずか31歳だった青年から生まれ出たものとは想像し難く、聴く者を金縛りに遭わせる。

演奏する順番すら変更する歌手も大勢いる中で、イアン・ボストリッジは死の翌年出版されたものを忠実に再現してゆく。
第8曲「アトラス」。ギリシャ神話で、ゼウスから天空を背負う役目を与えられたアトラスの独白!

僕は不幸なアトラスだ!世界を、苦しみの全世界を担わなければならぬ。
担うべからざるものを担い、僕の心は身体の中でいまにも張り裂けんばかりだ。

ここでのボストリッジは感情を押し殺す。決して爆発させることなく内側に溜め込みつつ・・・。それでこそアトラスの苦悩が「わかる」というものだ。
第9曲「彼女の絵姿」では、何と言っても伴奏ピアノのため息の出るような音色に心を奪われる。ここでのパッパーノの情感は見事。

涙が僕の頬からもしたたり落ちた―
だが、ああ、僕には信じられない、きみを失ってしまったとは!

その後の第10曲「女漁師」の明るさは希望の光だ。

僕の心も海と同じだ、嵐もあれば満ち干もある、
そしてその底の方にはたくさんの美しい真珠もある。

白眉は第12曲「海辺で」!!

霧が立ち昇り、潮が満ちた、鴎が飛び交っていた。
君の目からは愛情に満ちた涙がいく粒もしたたり落ちた。
その涙が君の手に落ちるのを見て僕はくずおれるようにひざまずき、
君の白い手を取ってそこから涙をむさぼり飲んだ。

哀しくも美しい詩と最後のソナタにも通じる青白いピアノの音に釘づけ。
さらに続く第13曲「ドッペルゲンガー」については・・・、残念ながらその恐ろしさが、若きボストリッジの手に余るのか、もうひとつ伝わらない。

シューベルト:
・秘密D491
・馭者クロノスにD369
・水鏡D949
・歌曲集「白鳥の歌」D957
・別れD475
イアン・ボストリッジ(テノール)
アントニオ・パッパーノ(ピアノ)(2008.8.15-17録音)

後奏のかすかな残響のあと10秒ほどのパウゼを入れ、終曲「鳩の使い」。詩はハイネではなく、ヨハン・ガブリエル・ザイドル。この鳩の名は「あこがれ」だという。いかにもシューベルトの最後の作品・・・。

僕は何千回となく毎日鳩を放しては、
たくさんの大好きな場所を通らせて恋人の家まで飛ばすのだ。

そこで窓から鳩はそっと彼女の様子を覗き込み、
僕の挨拶を伝えては、彼女の返事を持ち帰る。

手紙を書く必要も全然ない、時には涙まで運ばせる。
おお、涙をちゃんと届けてくれる、まったく熱心な召使なのだ。

嗚呼、フランツ・シューベルトは自分と世界とが「ひとつである」ことがわかっていたんだ。そういえば、世に夭折の人々は皆等しくそう。金子みすゞ然り、堀明子然り、石川啄木然り。あ、坂本龍馬も・・・。

※歌詞訳:石井不二雄


2 COMMENTS

畑山千恵子

ボストリッジも聴きに行きました。大変素晴しい演奏でした。マティアス・ゲルネのシューベルト3大歌曲集コンサート以来でした。「白鳥の歌」では最後の「鳩の使い」をアンコールとして歌うことが増えてきました。とはいえ、この作品の後ろには最後のピアノ・ソナタ第21盤、D.960が聳え立っているような気がします。

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岡本 浩和

>畑山千恵子様

>、この作品の後ろには最後のピアノ・ソナタ第21盤、D.960が聳え立っているような気がします。

そうですね、そうかもしれません。

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