ごく小さいときから、私は音楽、あらゆる種類の音楽に、惹かれた。たいていの愛好家たちよりずっとこの芸術に通じていた父は、どうしたら私の趣味を育めるか、早くから熱中させることができるかを、知っていた。
(平島正郎訳)
(1938年「ルヴュ・ミュジカル」誌モーリス・ラヴェル記念特別号「自伝素描」)
~「作曲家別名曲解説ライブラリー11 ラヴェル」(音楽之友社)P6
子どもは純真だ。
その分、受容がなされず不満が溜まると、素直さは意地悪に転じる。
悪戯によって他の注意を惹こうとするのだ。特に、最たる対象は母親。
人間の本性は、意識せずとも良心なのだとつくづく思う。後天的な性質、性格(すなわち思考や感情)が日々問題を巻き起こす。自覚のないままに思考にとらわれていると、世界は不満と不安に覆われる。
オペラの問題は私をいつも魅了してきました。私はすでに幾つか試みてきましたが、まだ求めている形式が見つかっていません。作曲家たちが(名を挙げるとすれば)マイヤベーアの時点で止まっていて、この種のスペクタクルが少しも発展していないのは、驚くべきことだと思われませんか。ワーグナーのオペラは馬鹿げていますし。何か別のものを作らねばなりません。それなのに、ほら、若い作曲家たちはグノーとその仲間が作り出した構造に戻らざるを得ないのです。
(ラヴェルの1932年のインタビュー)
音楽はいかにもラヴェルらしい、前衛と保守とを往来するような不安定さ(?)が特長。それでも、物語の筋は、本人の意図するところかどうかは別にして、人々の心の在り方を示唆する重要な警告を孕んでいる点が素敵。
登場人物は、母親と子ども以外は動物や昆虫、あるいは無機物。
子どもには動物や無機物の心(?)がわかるのだろう、堕落した本性があっという間に戻る様子が美しい。
みんな愛し合っている。幸せそうにしている。僕のことなんか忘れて・・・
みんな愛し合っている・・・僕のことなんか忘れて・・・独りぼっちになっちゃった・・・
(無意識のうちに叫ぶ)
ママ!・・・
(岡本和子訳)
この、我に返る瞬間のパメラ・ヘレン・スティーヴンのメゾが何とも真に迫る。
動物たちによる最後の合唱は、生きとし生けるものへの讃歌であり、何とも崇高。プレヴィンの棒のセンスが光る。
あの子は傷の手当てをして、血を止めた。
あの子は賢い、非常に賢くて、非常に優しい子だ。
(岡本和子訳)
そして、付録と思いきや、素晴らしいのが「マ・メール・ロワ」!!
色彩豊かな管弦楽の魔法に、心がウキウキし、魂が喜ぶ。ここでのプレヴィンはあくまで自然体。無理せず、我執なく、ただラヴェルの創造した音楽に奉仕するように音楽を再生する。
ここにあるのは文字通りファンタジー!!!