《スカルボ》の出だしはコントラファゴット、そのあとは太鼓―(中略)オーケストラの曲をピアノにしてみたかったんだ。
(モーリス・ラヴェル「自伝素描」)
モーリス・ラヴェルがアロイジウス・ベルトランの詩に深く心を動かされたのは、そのグロテスクさと幻想性によったそうだ。彼は、「夜のガスパール」に触発され、超絶技巧のピアノ音楽を生み出した。特に、第2曲「絞首台」には、エドガー・アラン・ポーの精神的影響が見てとれるという。
ポーと言えば、「大鴉」。この偉大なる幻想詩は、あの世とこの世を結ぶトンネルの如く、暗黒ながら遠い希望に溢れる。
闇のなかをじっと覗いて、私はしばらくそこに立っていた、怪しみながら、怯えながら、
疑いながら、これまでに誰一人夢みたこともない夢路に迷うこの思い、
しかし静寂も破られず、ひっそりとして音もない、
そのときに洩れた言葉は「レノア」と囁く声ばかり、
私がこれをささやけば、木霊もひくく呟いた、「レノアよ」と、—
その声ばかり、何もない。
~阿部保訳「ポー詩集」(新潮文庫)P15
昨夜のイーヴォ・ポゴレリッチの弾く「夜のガスパール」は驚くほどシンフォニック(まるでオーケストラを聴くかのよう)だった。ラヴェルの魂胆が実に上手く、しかし挑発をもって革新的に音化された最高のパフォーマンスだったと断言できる。雄渾なる男性的なガスパールの最右翼とでもいっておこうか。それならば、女性的なるガスパールの最右翼は・・・、マルタ・アルゲリッチだろう。
あらためて彼女の弾く座右の名盤ラヴェル作品集。
繊細な動きに耳が開く。耳が開けば自ずと意識も開く。何と鮮烈な、死の匂いを醸す「オンディーヌ」よ。そして、むしろ生への希望を思わせる「絞首台」の静寂は、アルゲリッチの独壇場。さらに「スカルボ」の、精密機械のような乱れのない正確な打鍵と音楽の絶妙な流れに舌を巻く(ポゴレリッチはアクセルとブレーキを上手く混淆して処理し、予期せぬ流れを作っていたが、アルゲリッチの解釈はまるで大自然の運行の如くゆらぎの中にありながら過去から未来へと流れる時間の奇蹟)。
また、ソナチネが美しい。
可憐な第1楽章モデレ、おとぎ話のバックグラウンドミュージックのような第2楽章ムーヴマン・ド・ムニュエ、あるいは終楽章アニメの開放的な楽想と上行下行する音の魔法。
ところで、「高貴で感傷的な円舞曲」は、シューベルトを規範にしているという。
《高雅で感傷的なワルツ》というタイトルそのものが、シューベルトを模倣して一連のワルツを書くという私の意図を十分に示している・・・7番目のワルツが私にはいちばん特徴があるように思われる。
(モーリス・ラヴェル「自伝素描」)
~アービー・オレンシュタイン著/井上さつき訳「ラヴェル生涯と作品」(音楽之友社)P221
7番目のワルツには「ラ・ヴァルス」が木霊する。確かに、最もラヴェル風だ。
ちなみに僕は、アルゲリッチの弾く第8曲エピローグに惹かれる。この退廃、同時に細やかな音の粒に纏いつく感傷。何と意味深いのだろう。
現実はいかにも幻想の中にある。
幻のように見えて、すべては現実なのだ。ポーもラヴェルも、アルゲリッチもポゴレリッチも現の中にある。