
バッハの音楽が峻厳で、くすんだ色であるのに対して、ヘンデルのそれは壮麗でとても開放的だ。抹香臭くなく、あらゆる世界を包み込む母性とでもいうのか、そういう慈悲の心が彼の音楽にはある。
それに、ヘンデルはビジネス的にもやり手だった。宗教音楽にせよ舞台音楽にせよ、どうすれば公衆の心をつかめるのか、先天的に知っていたのだろうと思われる。
デイム・ジャネット・ベイカーのメゾは、英国的スノッブさを秘めるヘンデルの音楽に向いているように思われる。魂にまでずしんと届くその歌唱は、聴いていて心地良いのはもちろん、偉大なるものがバックについている気配を感じさせる尊いものだ。
ヘンデルのカンタータ「ルクレツィア」の神々しい音楽たち。
名曲「オンブラ・マイ・フ」の極めつけの神々しさ。これぞ人声を超越した天の声!!絶品である。そして、カンタータ「ルクレツィア」で魅せる思い入れと余裕。凌辱されたルクレツィアの悲劇をこれほどまでに迫真をもって伝える歌唱が他にあるのかどうかと思わせるほど。レッパード指揮イギリス室内管による伴奏も、ベイカーの歌を盛り立てる働きをし、実に美しい(240年後の、ブリテンの「ルクレツィアの凌辱」の、全編を彩る妖しい官能が、ベイカーの歌唱をもって映し出されるが如し)。