愛する人たちへ・・・

schubert_uchida_impromptus.jpg朝日新聞夕刊に掲載された「ネット時代の音楽表現とは」と題する坂本龍一のインタビュー記事。

「ネットでは圧倒的多数に視聴され話題にされないといけない。ブログでいえば、とにかくウケないといけない。やがてアクセス数をかせぐことが目的になってしまう。・・・ネットのお陰で、僕はたくさんの人に聞いてもらうことが音楽を作る動機にならないことが逆にわかった。アマチュア時代に戻ったような新鮮な感覚だ。顔の見えない、何を面白がるのかわからない大量のユーザーのために音楽を作る必要性を感じない。作りたい音楽があるからやっている。・・・」

なるほどクリエイターらしい考え。坂本龍一のように成功した人だから言える。確かに理想的だ。しかし、「相手」もなくただ「作りたいから作る」というのではあまりにも空しい。ましてや、見てくれる人聴いてくれる人を持たない人はそこまでは達観できない。そこで、もう一度よく読んでみると、

「大量のユーザー」に対してではなく、たとえ少数であろうと「自分の作品を愛してくれる、あるいは本当に喜んでくれる人」に対して「提供したい」何か(坂本の場合は音楽)があるから動く(作る、やる)のである、と言いたいのだとわかる。

やっぱり人は誰でも身近な大切な誰かのために生きている。自分以外の人を思いやれる心を「思い出すこと」がとても大切。渋谷のとある企業で実施された正味2時間の「マネージャー振り返り研修」の講師を仰せつかって、「人間だれもが関係の中に生きているということ、そしてその関係の質を向上させていくことが重要だ」ということを強調させていただいた。「人間力」とはすなわち「人間関係構築力」なり。

シューベルト:即興曲集作品90&142
内田光子(ピアノ)

フランツ・シューベルトの音楽は儚く美しい。しかし、時に冗長で最後まで聴き続けるのが苦痛になることがある。自分自身でも制御不能なほどメロディやアイデアが奔出したのだろうか、舵を失った船の如くどこに向かうのかがわからなくなる時すらある。しかし、音楽のある部分だけを採り上げたとき、彼の生み出したどの楽曲にも「心に染み入る」可憐で美しい旋律が存在する。
そのシューベルトが作った最高傑作(だと僕は思う)がこの即興曲集。すべての音符に意味があり、その「音」にずっと浸っていたいと思わせるほど夢見心地にさせてくれる類稀な音楽。いずれも1827年、シューベルト死の前年の作曲。その傑作たちを演奏する内田光子は、聴く者を金縛りにし、傾聴せざるを得ない状況に追い詰める。否、追い詰めるという表現は正しくない。それくらいに魅力的で恍惚的、そして彼の音楽のもつ「美しさ」と「儚さ」をものの見事に再現するゆえついつい時間を忘れて聴き入ってしまうのである。

「大量のユーザー」を意識した瞬間に芸術は堕落する。200年前に生きたシューベルトはもちろんのこと現代を生きる内田ですら「大量のユーザー」を意識していないのではないか。人間、見も知らない誰かを「思いやる」ことはできない。愛することもできない。大量生産、大量消費という世の中のしくみこそが「人間らしさ(その人がその人らしく生きることこそがそもそも芸術だと考えて良いのではないか)」喪失の根源だとこの即興曲集を聴きながらふと考えた・・・。


4 COMMENTS

もっち

>「人間力」とはすなわち「人間関係構築力」なり。
なるほど、人間関係が最近変わってきたので人間関係構築力が付きだしたってことだったんですね。何かしっくりくる表現がなくてムズムズしてました。
>大量生産、大量消費という世の中のしくみこそが「人間らしさ(その人がその人らしく生きることこそがそもそも芸術だと考えて良いのではないか)」喪失の根源だとこの即興曲集を聴きながらふと考えた・・・。
大量消費、大量生産、「大量のユーザー」を意識しない、自然こそが芸術であり美しく感じます。自然体が一番美しいんですね。

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おかちゃん

>もっち
おはよう。
もっちの良いところは「素直に何でも吸収しようとする姿勢」だね。曲がってないところが良い。だから変化し、成長するのです。
>自然こそが芸術であり美しく感じます。自然体が一番美しいんですね。
そうそう、おっしゃるとおり。「自分らしく」生きることが一番重要ね。

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雅之

こんばんは。
こういう世相になってくると、シューベルトの音楽が心に沁みます。
>そのシューベルトが作った最高傑作(だと僕は思う)がこの即興曲集。
弦楽五重奏曲も「冬の旅」も「白鳥の歌」も、みんな最高傑作です。シューベルトの全作品とは、死ぬまで付き合っていけそうです。
>フランツ・シューベルトの音楽は儚く美しい。しかし、時に冗長で最後まで聴き続けるのが苦痛になることがある。自分自身でも制御不能なほどメロディやアイデアが奔出したのだろうか、舵を失った船の如くどこに向かうのかがわからなくなる時すらある。
確かにそういう構成の弱さが出た作品は多いですね。「未完成」なども、それで先を続けられなくなったのだと思います。でも、シューベルトにしてもシューマンにしても、そういう欠点も含めて心底愛しています。人を好きになるのと同じで・・・。
「音楽は人生の鏡。完璧な音楽なんて、完璧な人生と同じくらいつまらない」(パトリツィア・コパンチンスカヤ)

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おかちゃん

>雅之様
>シューベルトの全作品とは、死ぬまで付き合っていけそうです。
おー、雅之さんはシューマンに次ぎシューベルトの音楽も愛されているのですね。僕も好きには好きですが、時折飽きてしまいます(笑)。
>シューベルトにしてもシューマンにしても、そういう欠点も含めて心底愛しています。人を好きになるのと同じで・・・。
なるほど、おっしゃるとおりです!シューマンもシューベルトもある意味僕の弱点ですので、いずれまたポイントをご教示ください。それにパトリツィア・コパンチンスカヤの言葉!

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