ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル ショスタコーヴィチ第6番(1955.5.21Live)&第12番「1917」(1962.1.6Live)

シリアスなラルゴ楽章にはじまる3つの楽章を持つ、いわば「頭のない」交響曲。
常識の枠を超えたところにこそある真実。

アトヴミャーンの手紙には、どの(原文どおり!)作曲家も、ぼくの交響曲に憤慨していると書かれていました。どうすればいいのでしょう。明らかにぼくは皆の要望に応えませんでした。つとめてこの状況を気に病まないようにしていますが、それでも気が重いのです。年齢、神経、すべてがこたえます。
ローレル・E・ファーイ著 藤岡啓介/佐々木千恵訳「ショスタコーヴィチある生涯」(アルファベータ)P158

1939年12月3日のムラヴィンスキー指揮によるモスクワ初演後の、数多の批評家の悪意に満ちた言葉にショスタコーヴィチは傷ついた。

それでも彼はどんなときも、「いつものやり方」を踏襲できる作曲家ではなかった。
作曲中に彼がジャーナリズムに認めた見解はこうだ。

交響曲第6番の音楽的性質は、交響曲第5番の調子や感情的色合いとは違ったものになるでしょう。交響曲第5番に特徴的なのは、悲劇や緊張の瞬間でした。新しい交響曲では瞑想的、抒情的調子の音楽が支配的です。この曲では春のような、喜びにあふれ、若々しい雰囲気を伝えたかったのです。
~同上書P156-157

作曲家はとにもかくにも終楽章プレストの出来に満足していたという。
いかにもショスタコーヴィチらしいアイロニーに溢れる、突進する行進曲は、ムラヴィンスキーの手により最高の音楽として昇華される。プラハでの古い実況録音だが、基本解釈は変わらず、エネルギーに満ちるムラヴィンスキーのショスタコーヴィチ。

ショスタコーヴィチ:
・交響曲第6番ロ短調作品54(1939)(1955.5.21Live)
・交響曲第12番ニ短調作品112「1917」(1961)(1962.1.6Live)
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

初演後まもなくプラハにて演奏された実況録音は、何と確信に満ちた堂々たる演奏だろうか。交響曲第12番のための、作曲者自身の構想には次のようにある。

「第1楽章では、1917年4月のV.I.レーニンのペトログラード到着、過酷な労働に従事する労働者階級との出逢いを、音楽で表現するつもりです。第2楽章では、11月7日の歴史的事件を再現します。第3楽章では、国内戦、第4楽章では、大十月社会主義革命の勝利を描きます」。彼はまた、フィンランド駅にレーニンが到着したときの、忘れ難い演説を例に挙げ、ペトログラードで1917年に起きた一連の出来事の目撃者としての記憶が、強いインスピレーションの源になっていることをこの場で初めて「明かした」。
~同上書P287

記憶が(想像を超えた)音楽になるときの力は、心象が詩になるときの力と相似なのだろうか? それとも音楽は詩より具体的? 否、あるいは逆か?
標題持つ明確な作品だけれど、ある意味輪郭のぼやけた想像的創造物であるように思う。
短い第3楽章「アウローラ」の揺れる美しさ、そして、アタッカで突入する終楽章「人類の夜明け」の、まさに肯定的音調にエネルギーをいただく。

ちなみに、このコンサートの直前、1961年12月30日には長い間初演が延期されていた交響曲第4番が、ついにモスクワでキリル・コンドラシンの指揮により初演された。反響は、(もちろん良い意味で)大変なものだったという。それは、ついにショスタコーヴィチの時代の真の扉が開いた瞬間だった。

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