前奏曲とフーガ

バッハとショスタコーヴィチの「前奏曲とフーガ」を組み合わせた録音はいくつかあるが、ピアニストの解釈こそ多種多様であるものの、2人の作曲家の200年以上もの開きのある作品が、どれを聴いても、どこからバッハでどこからショスタコーヴィチなのか途中から全く区別がつかなくなるほど見事に融合するところが凄い。これは間違いなくショスタコーヴィチがバッハの音楽性を忠実に下地にしているということなのだろうが、単独で耳にすればそれは明らかにショスタコーヴィチの音楽で、古今を代表する天才の魂が実はひとつなのではと思わせる。あるいは、彼がこの音楽を作曲した1950年頃、作曲家にバッハの魂が一時的に乗り移ったということなのか。ともかくそれくらいに違和感がない。
しかし、技巧的には9度や10度が頻出し、時には16分音符の片手オクターヴのフレーズもあるということだから、バッハ以上にピアニスト泣かせなんだろう(手の大きい熊のようなロシア人じゃないと到底弾けない代物か?!)。

いずれにせよ、これほどに静けさを帯び透明感のある音楽がスターリン統制下のソビエト連邦から生まれたということが信じられない。というより恐ろしいほど。ムラヴィンスキー率いるレニングラード・フィルやリヒテル、オイストラフら大芸術家を輩出した鉄のカーテンの向こう側では一体何が起こっていたのか?

繰り返し聴くたびに発見のある曲集。
ついつい祈りたくなる敬虔な調べ。
神のいない共産主義の中でそもそもこういう音楽が鳴ったこと自体が奇跡。

J.S.バッハ:前奏曲とフーガト長調BWV860~平均律クラヴィーア曲集第1巻
ショスタコーヴィチ:前奏曲とフーガホ短調作品87-4
J.S.バッハ:前奏曲とフーガ嬰ト短調BWV887~平均律クラヴィーア曲集第2巻
ショスタコーヴィチ:前奏曲とフーガ変イ長調作品87-17
J.S.バッハ:前奏曲とフーガ嬰ヘ長調BWV858~平均律クラヴィーア曲集第1巻
J.S.バッハ:前奏曲とフーガ変ホ短調BWV853~平均律クラヴィーア曲集第1巻
ショスタコーヴィチ:前奏曲とフーガ変ホ短調作品87-14
ショスタコーヴィチ:前奏曲とフーガ変ニ長調作品87-15
J.S.バッハ:前奏曲とフーガ変ロ短調BWV891~平均律クラヴィーア曲集第2巻
ベルント・グレムザー(ピアノ)

信じられないスピードで日々が過ぎ去ってゆく中、夕暮れ時から皆が寝静まった深夜にかけ独り静かに音楽を聴くのにとても相応しい音盤。
そこには寂しさもあり、激情もあり、そして囁きと叫びが存在する。
何より普遍的な愛を感じられるところがバッハとショスタコーヴィチを並べる時の醍醐味。
作品87-15”We wish you a merry Xmas”のパラフレーズのように聴こえるが、ショスタコ風アイロニカルな味付けが堪らん・・・。


7 COMMENTS

雅之

こんばんは。

メルニコフのリサイタルに行かれること、心から羨ましいです。
メルニコフが「作品87」の24曲全曲を一晩のリサイタルで一気に弾くのが、いかに歴史的な快挙にチャレンジすることか、三宅麻美さんのCD(私は2006年に東京オペラシティ・リサイタルホールでの彼女の3回のリサイタルで全曲を聴いたことがある。これは少なくとも日本人としては初)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81-24%E3%81%AE%E5%89%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E3%81%A8%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%AC-%E5%85%A8%E6%9B%B2-%E4%B8%89%E5%AE%85%E9%BA%BB%E7%BE%8E/dp/B0014E7JH8/ref=sr_1_1?s=music&ie=UTF8&qid=1329223664&sr=1-1
から、渡辺和彦氏のライナーノーツを一例に感じとっていただきましょう。

・・・・・・録音では当然ながら番号順に収録されているが、一晩のリサイタルでは、曲想や演奏効果、調性の問題など様々な要因が複雑に絡むため、若い番号から順に弾いていくのは合理的ではない。3回の演奏会で、三宅は以下のような配列を行い、後半ではピアノ三重奏曲第2番ホ短調、ミケランジェロの詩による歌曲(抜粋)、ピアノ五重奏曲ト短調などのピアノ・パートを担当した。なお番号は当日の演奏順である。
 第1回(3月26日)第1,2,3,4,5、16,17,13,12番
 第2回(8月5日)第11,6,7,8,9,10,14,15番
 第3回(12月10日)第18,19,20,21,22,23,24番
 それぞれの日の最終には24曲中で技術的に最大の難曲とされ、実際に“生”で弾くにはかなり技巧的なナンバーが配列されている。また客席で接する場合の緩急のバランスも配慮されており、「一晩で全曲を一気に弾いてのける」(演奏する側と聴く側の負担を考えると物理的に不可能)、または「二晩に分けて番号順に弾く」(第1番〜第12番/第13番〜第24番)でなければ、この配列は便宜的とはいえ、合理的なものだった。・・・・・・

また、アシュケナージによれば、かのリヒテルでさえも、この曲集で何曲か技術的に弾けない曲があったようです。

内面と技巧の驚異的な両立、ピアノ音楽の最高峰のひとつであることは間違いないでしょうね。
ご紹介の盤は未聴ですが、ムストネンの名盤と比べてどうですか? こちらもぜひ聴いてみたいです。

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雅之

渡辺和彦さんによるライナーノートの引用ミスがありました。 訂正します。

〇 それぞれの日の最終には24曲中で技術的に最大の難曲とされ、実際に“生”で弾くにはかなり危険な超技巧的なナンバー

「実際に“生”で弾くにはかなり危険な超技巧的なナンバー」なんだそうです、岡本さんお気に入の作品87-15”We wish you a merry Xmas”も(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
作品87の全曲演奏がそれほどの快挙であることは知りませんでした。
でも、そういわれてみるとそうですよね。「本当に1回のリサイタルで全部をやるのか?!」てな感じです。
いずれにせよこの目でしっかり確かめてこようと思っております。

今たまたま随分前にニコラーエワ盤を採り上げた時の雅之さんのコメントを見まして驚きました。
http://opus-3.net/blog/archives/2007/08/post-93/
僕が今回書いた記事の表現とほとんど同じようなこと(どこからがバッハでどこからがショスタコか分らなくなる瞬間もあるほど両者が融合しており)を既に言われていたんですね!
いやあ、無意識下に刷り込まれていたのでしょうか?(苦笑)
人間の潜在的な記憶、能力というのは恐ろしいものです・・・。

ちなみにこのグレムザー盤、ムストネンと比べて、根本的な素養の差が出ているように思われます。
グレムザーはピアノ教師を生業とし、一方のムストネンは作曲家でもありますよね。
双方「自由」なのですが、ムストネンがより枠をはみ出しているのに対して少し優等生的というか(ちと語弊がありますが)。でも、いい演奏です。曲順も抜群です。ぜひ聴いてみてください。

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ふみ

過去のブログにコメント、失礼致します。

メルニコフ、私もチケット取りました。緊急のことが無ければお伴を連れて行こうかなと思います。

今年の目標は月一でのコンサート通いですので、とりあえず先月の小澤さん、今月のメルニコフでクリアーです(笑)
あまりに生音渇望症ですが、学生の頃が非現実的生活だったんだと言い聞かせています。

しかし、雅之さんの仰るようにリヒテルでも困難だったとは。内面と技巧の驚異的両立、素晴らしい表現ですね。

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岡本 浩和

>ふみ君
こんにちは。
コメントありがとう。
久しぶりに会えることを楽しみにしています。

>あまりに生音渇望症ですが、学生の頃が非現実的生活だったんだと言い聞かせています。

社会人になったばかりの頃はね・・・しょうがないね・・・。
まぁ、月1目標なら何とかクリアできるでしょう。

ではメルニコフのリサイタルで!

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 平均律クラヴィーア曲集

[…] アファナシエフの印象は、気難しさと小難しさ。 ブラームスの後期小品集やショパンのノクターン集、あるいはマズルカ集などは初めて聴いたときその深遠さと巨大さに相当感激したものだが、基本的に考え過ぎの、頭で作った音楽に聴こえてしまうところが難点(実際にオペラシティで聴いたリサイタルも今一つの印象だった)。 しかしながら、このバッハは違う。おそらくショスタコーヴィチが脳天を直撃されたときの衝撃のような静かな破壊力がある。バッハが平均律というシステムを完成させたことは音楽史的にみて画期的な事件だろうが、そもそもこの平均律というシステムが四角四面の枠のように音楽家を苦しめてきたともいえまいか。素人的な思考でしかないけれど。 […]

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