Peter Gabriel Hit The Definitive Two CD Collection (2003)

後天的に作られた性格・性質が、生き方そのものに影響を与え、ひいては創造物にも多大な影響を与える。生命そのものが波動であり、生み出す思念は当然すべてが波動であるゆえ、それは当然だ。

ピーターの妥協を嫌う性格は、ウォーキンにあるケーブル・ハウス幼稚舎の1955年夏の初めての通信簿にも出ている。それによると、「ピーターは自分なりに全力を尽くし、つづりが間違ったままでいるよりもむしろ、その単語を外してしまう傾向あり」
こんな幼い頃から彼は自分の能力に疑問を感じていたのだ。もっとも教師たちは自信が出てきているのに気づいてはいたが。

スペンサー・ブライト著/岡山徹訳「ピーター・ガブリエル(正伝)」P42

ピーターがジェネシスを脱退したのはツアーに疲れたからだということだが、その実、精神状態の不安が大きかったと思われる。そもそも彼はミュージシャンとしての才能に(勝手に)完全に自信を喪失していた。

「野菜に対するのめり方にしても、異常な感じでした。あまりに自分の中に入りすぎていたんです。かと思うと、今度は何時間もピアノに向かって、ますますこもっていくんです。あの時、何というか、こう、変な言い方かもしれませんけど、あぶなくなりそうだなって感じたんです・・・もっと外に向かうことが彼には必要だったんですね」
~同上書P16

妻のジルの後の証言がとても生々しい。
ピーターはとても傷つきやすい子どもだった。

9歳になったとき、ピーターはウォーキンにあるセント・アンドリュース初等学校にあがった。彼は肉が嫌いでいつもお皿の端の方にのけていたので、それを無理矢理食べさせようとした校長と問題を起こしていた。にもかかわらず、1957年のクリスマス学期には、ピーターは学年で一番の成績だった。「学年で一番の成績にもかかわらず、なぜ時々不安そうな顔をするのだろうか?」と生徒たちが楽しそうにしているのが好きだったらしい校長のW.T.C.メイナードは首をひねっている。
翌年には彼はこう書いている。「集中力がなく、お調子にのりやすいという報告がたくさん入っている。彼の場合もう少し明るさが必要だ」

~同上書P43

ピーターは子どもの頃から決められた枠には収まらない感受性を持っていた。
彼の音楽的センス、あるいは演劇的パフォーマンスの原点は、類い稀なる感性にあろう。そして、確かに彼の創る音楽は概して暗い。
2003年にリリースされた、ソロ時代の楽曲のコンピレーション・アルバムを聴いていて、まったく古びない、玄人好みの堂々たる内容に鳥肌が立った。

・Peter Gabriel:Hit The Definitive Two CD Collection (2003)

2枚組アルバムは、1枚目が”Hit”、2枚目が”Miss”と銘打たれる。
個人的には、2枚目の、”San Jacinto”、”No Self-Control”、”Cloudless”、そして”The Rhythm Of The Heat”という流れに感無量。

ピーターの創造する音の洪水に身を委ね、心を解き放てば、世界は僕とひとつになる。
すべてが錯覚なのかと言えば、それは違う。見事に現実なのである。
例えば、ケイト・ブッシュとの3曲の合作は、どれもが時空を超えた傑作だ。

夢は大切なんだ。人生の3分の1は寝て過してるわけで、そのまた3分の1の時間は夢を見ている。夢っていうのは、脳が意識下、無意識下で起きていることをまとめ上げているひとつの形なんじゃないかな。それに注目しないなんて、ばかげていると思うね。強烈な夢のときはぼくは内容を書きとめておくんだ。毎日じゃないけどね。まあ月に1回ってとこかな。頭の中で起きていることは全部影響力があるのに、あまり世間じゃ認められないことが多い。夢は人を動かすめちゃくちゃ強い原動力だと思うよ。
~同上書P214-215

彼の作品の多くは間違いなく夢の顕現であろう。
“I Grieve”が流れる。何という深み。

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