ベルグルンドのシベリウス第7交響曲

ジャン・シベリウスの特に後期の作品は諦念に充ちると言われることが多い。確かに表面上そのように聴こえなくもない。壮年期に喉の腫瘍という病を得て、自身を省みざるを得なくなったお蔭で彼の音楽は徐々に独特の深みを帯びるようになっていったのだが、最後の交響曲第7番や交響詩「タピオラ」を耳にするにつけ、これらの音楽の内側にどちらかというと僕は「希望の光」のようなものをつい見出す。

先日、札幌交響楽団の第25回東京公演で第3交響曲を聴いた時、シベリウスの音楽は「悩みの音楽」だと書いた。確かにそれはそう(ただし、そのことはあくまで第3交響曲に関してだとこの場で断っておく)。あの作品にこそ実は「諦念」というもの、いかにも愉悦的な表現を試みながら、その背面に「底知れぬ不安」が潜んでいるんだと僕は思うのである。

ヘルシンキという大都会からアイノラ山荘に移住後のシベリウスの音楽は極めて内省的になる。そして、初期のナショナリズムに満ちた作品群が見事に変貌を遂げ、第4交響曲以降見事な「孤高の世界」に到達してゆくのだが、その間の架け橋になるのが交響曲第3番だ。「不安」の片鱗が垣間見えるというのも頷ける。なるほど、そうか・・・。第3及び第4交響曲はベートーヴェンでいうところの「ハイリゲンシュタットの遺書」のようなものだ。自己の内側を徹底的に掘り下げることでこれらの作品が生まれ、それによって内なる膿が放出され、カタストロフされる。

よって、交響曲第5番以降の作品は「自然」や「宇宙」への祈り、あるいは人間がそれらとひとつになることの幸福感が表現される。その究極の形が交響曲第7番であり、この曲が結果として「単一楽章」になった理由が自ずとはっきりする(その延長上に双生児の「タピオラ」があるということだ)。
久しぶりにパーヴォ・ベルグルンド&ボーンマス響の音盤を聴いてそんなことを考えた。

シベリウス:
・交響曲第7番ハ長調作品105(1973.11録音)
・交響詩「フィンランディア」作品26
・4つの伝説曲作品22~第2曲「トゥオネラの白鳥」
・4つの伝説曲作品22~第4曲「レミンカイネンの帰郷」(1972.1録音)
・交響詩「ポホヨラの娘」作品49(1974.9録音)
パーヴォ・ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団

芸術とは負の美学である。悩みや問題があってこそそこに素晴らしい作品が生まれ得る。最晩年の30年近くにわたりシベリウスがもはや大作を書かず、例えば交響曲第8番を封印したのも、第7番や「タピオラ」を世に問い、これ以上の凝縮されたスタイル、あるいは内容のものを想像することが不可能だったからだろう。それはやっぱり彼自身幸せだったから?地位や名声を得て、「負の美学」たるインスピレーションが枯渇したから?いや、それは違う。おそらく、すべてが調和し、ひとつになった体験を音楽上でした以上、もはや方法が見当たらなかったということに違いない。

ところで、ベルグルンドは生涯で3度もの全集を録音している。一般的には2度目のヘルシンキ・フィルとのものが名盤として名高いが、最初のこのボーンマス響との録音も忘れ難い。というより、あとの2つに比べて「動的」であることが特長ゆえ、音楽の勢いや流れが実に素晴らしく、どちらかというと静謐で悟り的な要素の強い第7交響曲を我々の目線に落として捉えることができるのは実はこれなのだと僕は言いたい。(それにしてもこの直後に「フィンランディア」が続くという構成はやめてもらいたい・・・笑)

週末、昨年に引き続きアイノラ交響楽団の第10回定期演奏会を聴く。プログラムが素敵・・・。


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