またしてもショスタコーヴィチの話題。
さすがに共産主義の下で生きていたせいか、極めて人間っぽいのがショスタコーヴィチの特長だということは何度も書いてきた。語弊のある言い方だが、第4交響曲にはいわゆる聖なる部分は微塵もなく、汗臭いドラマに横溢していることは先日インバル&都響の実演を聴いて実感したこと。一流作曲家の指標でもあるシンフォニーがいずれもそういう匂いを醸し出しているからこの推測は間違いないと思うのだが、例えば、彼のもう一方の側面、映画音楽やポピュラー系音楽を聴いてみると一層その感を強める。
いかにも初春らしい一日。夕刻には東の空にか細い三日月が光る。
地球から見る月というのはいかにも神秘的だが、今日の月は僕には踊り狂っているように見えた。(気のせいかもしれないけど)
日本の映画やドラマのBGMに登場してもおかしくないショスタコーヴィチのワルツ。ジャズ組曲第1番の第1曲は底抜けに明るい。でも、それがいかにもピエロのような振る舞いに感じられるのも事実。どうにもこうにも哀愁感を伴った明朗な旋律。
明らかに無理をしている作曲家の姿。これこそが真実なのかもしれないが、時は1930年代の中ごろ。スターリンによる大粛清が始まろうとするかしないかの時期と重なるのだから、悲しくて当然。結局ショスタコーヴィチという音楽家は嘘がつけない人なのだ。
Brilliantレーベルの3枚組格安ボックスからの1枚。
ショスタコーヴィチの天才というのは彼がどんな方向からも攻める術を持っていることだろう。上記のいずれの音楽を聴いても、作曲者名を伏せられていたら余程の通でない限り当てられないかもしれない。
それは三次元と五次元の違いくらい作風を異にする。しかしながら、それでいて物質的精神的両面を確実にカバーするのが彼の手段でもあった。その能力が備わっていたからこそ、社会主義リアリズムの要求にも即座に応えられたのだし、それによって長く生き多くの作品を世に送り出せたということだ。
ところで、バードやエリントン、あるいはマイルスなどはショスタコーヴィチのジャズ組曲は知っていたのだろうか?僕には本国アメリカ以上のジャズっぽいジャズが聴こえてならない(これらの作品を聴いていわゆる1950年以降のモダン・ジャズは大衆音楽ではなく、芸術音楽に昇華しているのだとあらためて確信した)。場末のジャズ音楽の低俗さ(?笑)も人間には必要な部分。
ショスタコーヴィチは天才である。
こんばんは。
そうすると、私はジャズとの関係で、またラヴェルを持って来たくなります(笑)。
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ
パトリシア・コパチンスカヤ(ヴァイオリン)
ファジル・サイ(ピアノ)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2804965
ラヴェル:ピアノ協奏曲、左手のためのピアノ協奏曲 フランソワ(ピアノ)、クリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4232809
(ついに誘惑に負けて、クリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団 の出てるSACD、本日全部買ってしまったのです!!)
>雅之様
この音盤、以前お借りして聴きましたがとても素晴らしいですよね。
>ついに誘惑に負けて、クリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団 の出てるSACD、本日全部買ってしまったのです!!
お互い煩悩には勝てませんね(笑)
しかし、いいのです。聖人君子じゃあるまいし・・・(笑)
ジャズとは最も人間臭いドラマです。
その意味で、ショスタコとラヴェルは双璧のように思えてきました。