メスプレ ガロワ ルーセル ロンサールによる2つの詩 作品26ほか(1986.12&87.1録音)

秋の日の黄昏時は、何と心に滲みることか! 嗚呼! 苦痛なまで心に滲みる! なぜといって、それは数々の甘美な感覚を備えていて、茫漠たるうちに、而も緊迫した趣を欠いてはいないから。蓋しこの永劫無窮の切尖にもまして、鋭く研ぎ澄まされたものはよもあるまい。
「芸術家の告白」
ボードレール/三好達治訳「巴里の憂鬱」(新潮文庫)P15

夢みる少年、アルベール・ルーセル。
彼は8歳で孤児になった。
孤独な少年にとってピアノが友だちだった。

8歳で孤児となったアルベール・ルーセル(1869-1937)は、ピアノを弾くことに慰めを見出しました。ベルギー海岸での休暇は、遠い冒険への夢を掻き立て、ジュール・ヴェルヌの小説を読むことで精神力を養い、そのことで彼は大海原への憧れを強くしました。アルベール少年は船乗りになることを夢見ていました。10代の彼は、生まれ故郷のトゥールコアンを離れ、海軍兵学校に入学するつもりでパリへと向かいました。仕事を続けながら、彼の揺るぎない音楽への情熱はますます強くなっていきました。見習い時代、そして後に大海原を縦横に航海する船上でも、ピアノは主な娯楽であり続けたのです。士官候補生だった彼は、数人の友人とトリオやソナタを演奏し、礼拝の伴奏にオッフェンバックのテーマをさりげなく採り入れて乗組員を楽しませたものです。極東への航海から戻った彼は、言葉だけでは表現できないイメージを頭の中で横溢させていました。そこで彼は作曲の必要性を感じ、ヴァイオリンとピアノのための幻想曲をスケッチし、弦楽三重奏とオルガンのためのアンダンテを生み出しました。すでにインド風の歌劇を構想していた1894年、ルーセルは海軍士官としての経歴に終止符を打ち、25歳で音楽の勉強を本格的に始めました。彼はパリに定住し、オルガン奏者のウジェーヌ・ジグーに「繊細な芸術的才能」を見出され、弟子として迎え入れられました。和声と対位法の練習に加え、ルーセルは過去の巨匠たちの楽譜も研究しました。

保守と革新と。
ルーセルの音楽を一言で表現すると「熱烈でありながら抑制された官能」だ。
詩に音楽を付すと歌になる。
言葉を付すとわかりやすくなるというのが世の常だが、実際言葉を付すことによって解釈の幅が広がり、音楽は余計に難しく、そして複雑になる。

何よりフランス語の語調が、音楽に安寧をもたらす。
否、アンニュイな雰囲気を醸すのだ。

20世紀初めに作曲された歌曲は、アンリ・ド・レニエの詩によるものです。それらはすべて、遠く離れた「異郷」と「愛の感情」を反映した自然の魅力を描いています。ルーセルの音楽は、表現が簡潔で、厳格で、控えめであるがゆえにより印象的なものになっています。「重厚さと遊び心、愛、優しさ・・・、ドラマティックでない憂愁、節度があり、感傷的な効果はなく、決して過剰ではない」と作曲家お気に入りのメゾソプラノクレール・クロワザは評しています。
こうして私たちは、「失われた土地」と共に、悔いを後に残すと主張する船乗り(「出発」作品3-1)に出会う一方で、「長い間、離れ離れになった手を見つめながら」(「別れ」作品8-1)別れの苦悩を思い返す船乗りにも出会うのです。あるいは、「大地と空」が織り成す風景(「濡れた庭」作品3-3、ドビュッシーのような音調)や、夕闇の暖かさに消えゆく風景(「秋の夜」作品8-3)は、対照的に「抒情的なマドリガル」作品3-4の「役立たずのフルート」が喚起する、自己との交わりのささやかな喜びを映し出しています。距離とは何か?(2つの中国の詩作品12から第2曲「離れ離れの恋人たち」)、あるいは不在とは何か?(「炎」作品10)、そして時間の経過とは何か?(「脅迫」作品9)、その後、失恋についての陰鬱な2つの歌曲(作品19)に続き、作品20の2つの明るい歌曲が生み出されるのです。
ルーセルはセレナーデを歌う独りの女性に魅了され、愛する人の庭での幻想を官能的に表現しています(「サラバンド」)。彼の作風は、「ロンサールによる2つの詩」作品26(フルート伴奏)でさらに洗練され、同時に繊細で幽玄なものとなり、続いて、古代ギリシャを想起させる五音音階で彩られた「アナクレオン頌歌」作品31&32から、東洋の旋法を使った歌(2つの中国の詩作品35)、あるいは黒人音楽と戯れる歌(「夜のジャズ」作品38)と、さらに進化、発展していったのです。

(フランソワ・ローラン)

ルーセル:
・凶兆 作品9, L.10(1907)b
・2つの中国の詩 作品12, L.13(1907-08)
 第1曲「若き貴人へのオード」c
 第2曲「仲を裂かれた恋人たち」b
・2つの歌 作品19, L.21(1918)
 第1曲「光」d
 第2曲「別れ」b
・2つの歌 作品20, L.22(1919)
 第1曲「サラマンカの青年」d
 第2曲「サラバンド」b
・ロンサールによる2つの詩 作品26, L.31(1924)
 第1曲「わが愛しの夜うぐいす」c
 第2曲「空よ、風よ」c
・アナクレオンの頌歌 作品31, L.37(1926)
 第1曲「自分自身に寄せて(頌歌第16番)」d
 第2曲「何を飲もうか(頌歌第19番)」d
 第3曲「若い娘に寄せて(頌歌第20番)d
・アナクレオンの頌歌 作品32, L.38(1926)
 第1曲「自分自身に寄せて(頌歌第26番)」d
 第2曲「若い娘に寄せて(頌歌第34番)」d
 第3曲「夢に寄せて(頌歌第44番)」d
・2つの中国の詩 作品35, L.43(1927)
 第1曲「花で刺繍を作り出す」c
 第2曲「賢い妻の答え」c
・ヴォカリーズ第1番L.45(1927)c
・おお良き葡萄酒(ワイン)よ、おまえは活き活きしているか?L.47(1928)d
・ヴォカリーズ第2番L.48(1928)a
・夜のジャズ 作品38 L.49(1928)c
・わが娘に与えた花 L.55(1931)b
・2つの牧歌 作品44, L.56(1931)
 第1曲「ケリオプリクト」c
 第2曲「パンはエコーを愛していた」c
・2つの中国の詩 作品47, L.60(1932)
 第1曲「棄てられた寵姫」c
 第2曲「ごらん、美しい娘たちを」c
・2つの歌 作品50, L.63(1933-34)
 第1曲「帰還の時」a
 第2曲「危機に瀕した心」b
・2つの歌 作品55, L.69(1935)
 第1曲「古い手紙、古い筆跡」a
 第2曲「時にお前が泣くとしたら」a
コレット・アリオット=ルガス(ソプラノ)a
クルト・オルマン(バリトン)b
マディ・メスプレ(ソプラノ)c
ジョゼ・ヴァン・ダム(バス・バリトン)d
パトリック・ガロワ(フルート)
ダルトン・ボールドウィン(ピアノ)(1986.12.11, 15 &17; 1987.1.12-15録音)

冒頭の「凶兆」作品9から、ルーセルの創造する音楽に文字通り「狂気」を思う。
しかし、その「狂気」には、あくまで抑制された官能が刻まれるのだ。
(クルト・オルマンの歌唱がまた素敵)

パトリック・ガロワのフルートが寄り添う、ロンサールによる2つの詩作品26は、幽玄な東洋的雰囲気を醸し、マディ・メスプレの歌唱がさらに輪をかけて神秘的な様相を披露する。

あるいは、「夜のジャズ」でのメスプレの歌も暗澹たる音調ながら、内なる明快さが宿る。何と喜びに満ちていることだろう。

この人生は一の病院であり、そこでは各々の病人が、ただ絶えず寝台を代えたいと願っている。ある者はせめて暖炉の前へ行きたいと思い、ある者は窓の傍へ行けば病気が治ると信じている。
私には、今私が居ない場所に於て、私が常に幸福であるように思われる。従って移住の問題は、絶えず私が私の魂と討議している、問題の一つである。

「どこへでも此世の外へ」
~同上書P171

ドワイアン ルーセル ソナチネ作品16 L.18(1967.5録音)ほか マルティノン指揮フランス国立放送管 ルーセル 交響曲第2番(1969.12録音)ほか ヴィア・ノヴァ四重奏団 ルーセル 弦楽四重奏曲(1970録音)ほか デュトワ指揮フランス国立管 ルーセル交響曲第1番「森の歌」(1985.6録音)ほかを聴いて思ふ

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