ユボー ヴィア・ノヴァ四重奏団 フォーレ ピアノ五重奏曲第2番ほか(1970録音)

安藤元雄×高階秀爾×平島正郎による鼎談「フォーレの時代の芸術と文学」に、ガブリエル・フォーレの耳疾にまつわる次のようなシーンがある。

安藤 ただ聞こえないだけなら、ステレオでいえばボリュームをしぼっていっちゃうような感じですね。ところが音程が狂ってくるっていうと、痛いですね、これは。どうだろうか。
平島 たとえばつまり、わからないでしょ、現実のエフェクトが。だからたとえば、鳴らして検証するってことが非常に難しくなる。いずれにしても想像力で補ったには相違ないことですけれど、和音の場合には危険ですものね。急に変なこと思い出したんですけどね、以前にビブリオテック・ナシオナルでだったか、ちょっとした展覧会があって、ずっと昔だけど見にいったんですが、フォーレはご承知のように音楽院の院長だったんですね。で、フォーレのペーパーが残っているんです。そこにね、似顔というかカリカチュアというか、漫画がいくつか描いてあるんですね。僕には、どうしてあの謹直無比な顔したフォーレがこんな漫画かいたんだか、そのときわかんなかった。あとになって考えてみたら、彼はやっていた議論がよく聞こえなかったんですね、きっと。
安藤 ははあ、教授会かなんかやってるけど、隣の声が聞こえない・・・
平島 しかし役目柄その場にいなくてはならない。それで漫画を書いていたりしたのではないか。そう想えばこれは胸が痛む話ですよね。

日本フォーレ協会編「フォーレ頌―不滅の香り」(音楽之友社)P34

音楽をすることよりも、人との会話が不可能になることに絶望したのはベートーヴェンも同じく。ベートーヴェンは聴覚を失っても希望を失わなかった。果たしてフォーレは。

当地のオペラ劇場に行ってきました・・・ヴェルディの喜歌劇を見ました・・・。私には奇妙に混じり合った音しか聞こえず、まるで気が変になってしまったのかと思えるほどでした。
(1919年4月1日付、モンテ・カルロより妻宛)
ジャン=ミシェル・ネクトゥー著/大谷千正編訳「ガブリエル・フォーレ」(新評論)P214

確かに胸が痛む。しかしながら、聴覚を失ったおかげで、否、異様な聴覚障害のおかげで、晩年のガブリエル・フォーレの作品は、人間業とは思えない、強烈な熱を帯びながら内省的で崇高な音調を持つ傑作揃いだ。中でも、ピアノ五重奏曲第2番ハ短調作品115の美しさ。

1921年5月21日の、国民音楽協会の演奏会での初演は成功を収め、フィリップ・フォーレ=フレミエは次のように報告している。

最後の和音と共にすべての聴衆は立ち上がった。人びとは歓声をあげ、貴賓席の広い桟敷に向かって拍手の手を差し伸べた。桟敷席の後ろの方にいたガブリエル・フォーレは、もちろん彼には何も聞こえなかったわけだが、頭を上下に振り動かしながら一人で最前列まで進み出た。
~同上書P223

作曲家人生のすべてをかけたと言っても過言でない音楽の妙なる力。

フォーレ:
・ピアノ五重奏曲第1番ニ短調作品89
・ピアノ五重奏曲第2番ハ短調作品115
ジャン・ユボー(ピアノ)
ヴィア・ノヴァ四重奏団
ジャン・ムイエール(ヴァイオリン)
エルヴェ・ル・フロク(ヴァイオリン)
ジェラール・コセ(ヴィオラ)
ルネ・ベネデッティ(チェロ)(1970録音)

フォーレの晩年の音楽には「詩」がある。
余所行きでない、ハレの舞台と違う、日常の、個人的な「憂い」がある。
ユボーとヴィア・ノヴァの演奏は、録音からすでに50年が経過するが、音の揺れなど状態にいささか問題はあるものの、演奏はフォーレの孤高の心情を捉えたもの。僕の座右の盤の一つだ。

ちなみに、フォーレの内なる憂鬱は、詩人室生犀星のそれにも通ずるだろう。

「郊外にて」
寂しい心を抱いて
ある日郊外の田甫路をあるけり
涼しい蔭つくる木のしたに
旅人のやうに憩ひ
旅人のやうに街の方を眺めて居たり
もはや暮れ方に近く
煙のぼるを見れば悲し
ここの都にそはぬ心を
つくづく思いしづめり

室生犀星「抒情小曲集・愛の詩集」(講談社文芸文庫)P84-85

犀星の言葉の選び方、心の描き方が魂にまで迫る。
それは、フォーレの音の選び方、心情の描き方と相似形だ。

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