クララ・ハスキルのザルツブルク音楽祭リサイタル(1957.8.8Live)を聴いて思ふ

クララ・ハスキルの演奏というのは、一度や二度、それも音盤で聴いただけではその神髄はわからないのではなかろうか。僕は本当に長い間彼女の芸術の真価を見過ごしていたように思う。
とても自然で、作曲家の心の襞までもが透けて見えるような純粋さ。それでいて老練、深遠さの刻まれる感動的な演奏。

今となっては残されたわずかな録音で判断するしかないのだが、僕は久しぶりに耳にした晩年のザルツブルク音楽祭の実況録音でのモーツァルトやシューベルトに釘付けになった。たった今目の前で彼女が演奏しているかのような実存感。頻出するミスタッチが余計にリアルさを助長する。
音楽は生きているのである。

モーツァルトのソナタハ長調K.330第1楽章アレグロ・モデラートでの魂の飛翔。続く、第2楽章アンダンテ・カンタービレは懐かしさが横溢し、聴く者を包容する力が漲る。何という力強さ。そして、終楽章アレグレットの音の勢いにある生への希望!いまだ枯れず。
3年後に不慮の死を遂げるハスキルは、この時点でまだまだ自分の音楽を世に広めんと意欲に満ちていたのだろうか。

時は1957年8月8日木曜日、所はオーストリア、ザルツブルクはモーツァルテウム。
空想の中で時計の針を戻し、クララ・ハスキルの音楽を満喫する。

ザルツブルク音楽祭1957
・モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調作品31-3
・シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960(遺作)
クララ・ハスキル(ピアノ)(1957.8.8Live)

ベートーヴェンのソナタ変ホ長調での、いかにも強烈な打鍵にある男性的な響きと、高音部でころころと転がされる女性的な旋律の対比の美しさ。息を凝らして演奏に集中するであろう聴衆の心動かされる姿が目に浮かぶよう。深刻な印象を与える第1楽章アレグロが美しい。怒涛の第2楽章スケルツォを経て、第3楽章メヌエットの枯淡の詩情(主題の再現で幾分レガート気味に奏するひらめき)!!そして、終楽章プレスト・コン・フォーコでは一層の熱を帯び、音楽はますます生き生きとする。

白眉はシューベルトの最後のソナタ。第1楽章モルト・モデラートの提示部の美しさはもとより、展開部の動的な響きの内に突如として現れる祈りの表情に僕は惹かれる。また、再現部のあまりの儚さ!!他のどんな演奏で聴いても「シューベルト的冗長さ」の否めない中、何よりそれを感じさせないところがハスキルの技量。第2楽章アンダンテ・ソステヌートは心地良いテンポで一気呵成に進められる。同じく第3楽章スケルツォの軽快な跳躍と終楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポにある、音楽をすることの喜び(コーダでの圧倒的加速!)。こんなに嬉しそうなシューベルトが他にあろうか。

 

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