シェリング シュタルケル ハイティンク指揮コンセルトヘボウ管 ブラームス 二重協奏曲ほか(1970.9録音)

ヘンリク・シェリング、クラウディオ・アラウ、ヤーノシュ・シュタルケルの3者による緊密な三重奏。何よりその求心力に言葉がない。
オーケストラ伴奏の、外への開放というより、内へと収斂されるエネルギーとは対照的に、3つの独奏楽器が織り成す色彩的な、力強い、しかし、滋味溢れる音楽。
若きベートーヴェンの意欲作は、まるで老練の作曲家の作品のようだ。
僕は、この作品が陳腐な失敗作だとずっと思っていた。
ダヴィッド・オイストラフ、スヴャトスラフ・リヒテル、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチの独奏に、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ががっぷり四つに取り組んだ名演奏をしても、正直、それほどの感動を喚起されなかったにもかかわらず、この録音については最初の音から違った。
特に、第1楽章アレグロの、オーケストラ提示部の懐かしさ、そして、そこに纏わるシェリングのヴァイオリン、さらにアラウのピアノが主題を奏でるときの得も言われぬ感動、またシュタルケルのチェロの慈愛の音に僕は嬉しくなった。

ちなみに、ここでのエリアフ・インバルの指揮は実に謙虚で、大人しい。あくまで主役は独奏者だと言わんばかりに。

・ベートーヴェン:ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための協奏曲ハ長調作品56
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
クラウディオ・アラウ(ピアノ)
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
エリアフ・インバル指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1970.9録音)
・ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
ベルナルド・ハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1970.9録音)

ブラームスの二重協奏曲が素晴らしい。
ハイティンク指揮するコンセルトヘボウ管弦楽団は冒頭からとても充実の響き。
そして、シェリングとシュタルケルによる独奏パートの阿吽の呼吸。

バッハやベートーヴェン、モーツァルトは、私よりも多く霊感を受けていたのだ、ヨーゼフ。この3人は皆、何よりもよどみなく自然に流れ出るような旋律の流れを持っていた。シューベルトもそうだ。だが、私にはそれがなかった。
アーサー・M・エーブル著/吉田幸弘訳「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」(出版館ブック・クラブ)P101

美しい旋律を生み出す点において、その力量は自分にはなかったと自覚するブラームスだが、旋律の持つ侘び寂という点では、彼の音楽は先達よりもずっと優っていた。特に、第2楽章アンダンテの憂い。シュタルケルのチェロがうねる。

芝のはずれに楓を主とした庭木があり、裏山へみちびく枝折戸も見える。夏というのに高揚している楓もあって、青葉のなかに炎を点じている。庭石もあちこちにのびやかに配され、石の際に花咲いた撫子がつつましい。左方の一角に古い車井戸が見え、又、見るからに日に熱して、腰かければ肌を灼きそうな青緑の陶の榻が、芝生の中程に据えられている。そして裏山の頂きの青空には、夏雲がまばゆい肩を聳やかしている。
これと云って奇巧のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を繰るような蝉の声がここを領している。
そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。・・・

三島由紀夫「豊饒の海4 天人五衰」(新潮文庫)P342

上記の録音から2ヶ月後の1970年11月25日、三島由紀夫の絶筆となった「豊饒の海」の最後のシーンに重ねて思う。
確かに、ブラームスの晩年の音楽にも同じような静かな、寂寞がある。
ここでのシェリングのヴァイオリンにも、シュタルケルのチェロにも一切の作為がない。

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