アバド指揮ベルリン・フィルのモーツァルト「ハ短調ミサ曲」(1990.12.5Live)を聴いて思ふ

mozart_mass_c_minor_abbado_bpo512ウィーン時代のモーツァルトには、ザルツブルク時代に比していわゆる宗教音楽の創作が激減する。これは何を意味するのか?
ザルツブルク時代にキリスト教のための音楽が多いのはもちろん枢機卿、すなわち教会からの依頼に依るところが大きい。
しかしながら、後年モーツァルトがフリーメイスンに熱を入れることを考えてみても、彼が宗教そのものには実は関心がなかったのではないかと推測することも可能だ。

モーツァルトは信仰には篤かったと僕は思う。
でないと、あのような慈愛に満ちた音楽を決して書けないだろう。そこには型を超えた「大いなるもの」への賛美が潜むのだと・・・。大地を含めた生きとし生けるものが、すべて「同胞」であり、それこそつながっているのだという思念が彼の中には厳然とあった。

ある意味バッハと近いものを僕は感じる。
バッハの場合、四角四面の凝り固まった教会作品に対し、世俗作品に垣間見る自由な飛翔こそ真の信仰の現れだと。モーツァルト然り。例えば、ハ短調ミサ曲が未完に終わったのは、コンスタンツェとの結婚を父親に認めてもらうための口実に過ぎず、珍しく自発的に音楽を生み出そうとしたことは賞讃に値するが、それでも彼自身の内的動機は長続きしなかったとみてよい。

何度も書く。モーツァルトにとっていわゆる宗教は不要だったと。
それよりも、すべてがつながっていることを確認し、実証したかったのだと。何より音楽を通じて。
モーツァルトは父レオポルトに手紙を認める。

大好きなお父さん!
おめでとう、お父さんはお祖父ちゃんになりました!昨日17日の朝6時半に、愛する妻は無事大きな、肥った、まんまるい男の子を産みました。夜の1時半頃陣痛が始まりましたので、その夜は二人とも、休むことも眠ることもできなくなってしまいました。4時に義母を、それから産婆を迎えにやり、6時に産褥に入りました。そして6時半にすべてが終わっていました。
(1783年6月18日付、レオポルト宛手紙)
柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」(岩波文庫)P96

子を持つ歓び、あらたな生を得る喜びが充溢するミサ曲。浮足立ったモーツァルトの喜びも束の間、その長男はまもなく没するのである。モーツァルトがミサ曲の筆を折ったのは我が子の死こそが原因でなかったか・・・。

・モーツァルト:ミサ曲ハ短調K.427(417a)(ヘルムート・エーダー版)
バーバラ・ボニー(ソプラノ)
アーリーン・オジェー(ソプラノ)
ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ(テノール)
ロベルト・ホル(バス)
ベルリン放送合唱団
ジークルート・ブラウンズ(オルガン)
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1990.12.5Live)

モーツァルト没後199年目の命日の実況録音。
これほど柔らかく慈しみと歓喜に満ちた「ハ短調ミサ曲」はない。
ミサ曲の形として本来は第3曲「クレド」が中心になるべきなのだろうが、残念ながらこれは未完。その代り、完成された第2曲「グローリア」の充実は並みでなく、アバドの指揮も最良の姿を示す。
「ラウダムス・テ」におけるアーリーン・オジェーの華麗なソプラノ独唱に喝采。
また、「ドミネ・デウス」でのバーバラ・ボニーとオジェーの二重唱の完璧さ。とにかく美しい。

この作品の調性が♭3つのハ短調であることがミソかも。
そしてそれがまた完成に至らなかった点が逆に素晴らしい。
決して完全ではない人類が目指さねばならぬ調和。
230余年後の今を予言したかの如し。

 

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