リヒテルのシューベルトはなんだかとっても愛らしい。
あくまで個人的な印象なのだけれど。
おそらくかれこれ四半世紀前にNHK-BSで観たリサイタルでの第18番に対する刷り込みが大きいのだろうと思う。
ソナタ第15番ハ長調D840がこれまた見事な演奏。
というより、あくまで僕のセンスにはまる最高の名演奏の一つだと思う。
悲しげに、可憐に、囁くように始まる長尺の第1楽章モデラートは22分を超える代物。
空気が一気に冷たくなった秋の夜長に相応しい音楽か。
まるでアントン・ブルックナーの交響曲のように、(完成された)前半2つの楽章で30分を優に超えるのだから聴く者に相当の集中力を要求する音楽なのだが、ともかく一度ツボにはまると幾度も耳にしたくなる。ほとんど大宇宙の生成の物語。僕は永遠を思う。
そして、第2楽章アンダンテの、いかにもシューベルトらしい歌に心が動く。
シューベルト:
・ピアノ・ソナタ第9番ロ長調D575(1817)
・ピアノ・ソナタ第15番ハ長調D840(1825)
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)(1979.12録音)
未完の第3楽章メヌエット(傑作第18番ト長調D894が木魂する)、そして同じく未完の終楽章ロンド(アレグロ)もシューベルトらしい美しい旋律に富んだ傑作。リヒテルは補完されない状態での演奏を試みているが、未完成であるがゆえのゆらぎの美しさが茲にある。
「きみは夢を自分に結びつけて判断するのかい?」と、私はたずねた。
「自分に? むろんさ。だれも自分に関係ないことを夢に見やしない。だが、それはぼくだけに関係してはいない。その点、きみの言うとおりだ。自分の心の中の動きを示す夢と、全人類の運命を暗示されるほかの非常にまれな夢とを、ぼくはかなりはっきりと区別する。ぼくはそういう夢をめったに見たことがない。これは予言で、実現された、と言いうるような夢を、ぼくはまったく見たことがない。解釈は不確実だが、自分だけに関係するのではないことを夢みたということは、はっきりわかっている。この夢はつまり、ぼくが以前見たほかの夢にくっついていて、その続きなのだ。これらの夢からぼくはきみに話したような予感を得るのだ。われわれの世界がまったく腐敗していることは、わかっているが、それだけではまだ世界の滅亡などを予言する根拠にはならないだろう。しかしぼくは数年来かさなる夢を見て、それから結論する。あるいは感じている、あるいはなんとでもきみの好きなように言うがいい—つまり、古い世界の崩壊が近づいて来るのを感じているのだ。初めはまったく弱い遠い予感だったが、だんだんはっきり強くなった。まだぼくには、自分にも関係のある大きな恐ろしいことが進行中だということしかわからない。シンクレール、ぼくたちはいくども話したことを体験するだろう。世界は改まろうとしている。死のにおいがする。死なずには、新しいものは生じない。—ぼくが考えていたより恐ろしい」。私はぎょっとして彼を見つめた。
~ヘルマン・ヘッセ/高橋健二訳「デミアン」(新潮文庫)P230-231