シンフォニー第5番(Op.67)は、1804年初、第3番(Op.55)完成の勢いに突き動かされたかのようにスケッチが始められたが、オペラ創作の契約を履行するためにいったん放棄され、1806年秋には第4番(Op.60)作曲に触発されて再開の運びとなるも、ミサ曲(Op.86)の委嘱やクレメンティとの契約に伴う雑事によってその続行が再び遮られた。1807年9月後半、ミサ曲上演の義務から解放されてヴィーンに戻るとベートーヴェンはすぐに、苦い思い出を払拭しようとするかのように、積年の課題、シンフォニー第5番の作曲に邁進した。3度目の正直である。
~大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P684
音楽が一度にダウンロードされるかのように創造を繰り返したモーツァルトは天才と称され、一方、紆余曲折あり、推敲を重ねに重ねたベートーヴェンは努力の人と巷では言われるが、一概にそう断定することはできないように僕は思う。歴史上前例のない、新たな試みに終始したベートーヴェンの方法は、空前絶後のものであり、ただ単にアウトプットの方法がモーツァルトとは異なるものだったのだろう。ハ短調交響曲を見よ。あの、今では知らぬ者のない有名な主題が、全楽章を通じて、形を変え、展開し、どれほど緊密に絡むことか。何より音楽が、人々の魂に訴えかける力の壮絶さ。そして、陰から陽に転じる際の、呼吸のすさまじさ、あるいは、宇宙的規模の共鳴と解放。
僕がこの音楽に目覚めたのは、かのフルトヴェングラーが最晩年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を振ってスタジオ録音した、堂々たる演奏を通じてだった。
例によってブライトクランク盤。
人工的な装いを蹴散らし、拡がりのある音が、晩年の彼の崇高な芸術を助長するようにベートーヴェンの傑作に光をもたらす。ベートーヴェンが全精力を費やして生み出した最高峰の音楽が、冷静に、しかし、熱を帯びて奏される様に、畏怖の念を禁じ得ない。特に、終楽章アレグロの、堂々たるテンポから繰される絶対的なエネルギーに、これが70年近く前の録音だということを忘れるくらい。
ちなみに、フルトヴェングラーの「未完成」交響曲は相変わらず重い。思念がこびりつき、感情が揺れ動く表現に感動を覚えるも、もう少し軽くても良いのではとさえ思う。