マルケヴィチ指揮ラムルー管 ベートーヴェン 交響曲第5番(1959.10録音)ほか

ベートーヴェンは、率直な、歯に衣着せぬ言動で有名な人だったそうだ。そのため常に監視の目が光っていたらしいが、彼は実害を被っていない。それは、ルドルフ大公を始めとして、貴族とのつき合いが対等であったことが大きいようだが、そもそも彼の生涯不変の啓蒙精神が時空を超えていたことも理由の一つとしてあるのだろうと藤田俊之氏は指摘する(シラーの「歓喜」の根本精神を貫きながら書き換え、検閲を突破した点)。

そういう料理店では、いつも質素な昼食をとりながら、政府や警察、また貴族階級の慣習など、あらゆる事柄について自由に無遠慮に、批判と嘲笑の口調で意見を開陳したのである。警察もそれを知っていたけれど、彼が空想家であるか、または輝かしい芸術の天才かのどちらかだろうということで、放任しておいた。彼の意見や主張を思いみれば、ウイーンよりも言論が自由なところは、どこにもなかったことになる。彼が抱く〈政治〉組織の理想は、イングランドであった。
(W.C.ミュラーの論文)
セイヤー著/大築邦雄訳「ベートーヴェンの生涯 下」(音楽之友社)

天才と何とかは紙一重といわれるが。果たしてベートーヴェンの場合も世間からはそういうイメージで観られていたのかもしれない。しかし、ベートーヴェンがいかに慧眼と慈眼に優れた人であったかは、当時の友人たちの回想をひもとけばわかるだろう。

ところで、フランツ・グリルパルツァーがベートーヴェンの告別式(1827年3月29日)で披露した弔辞には次のようにある。

彼は一人の芸術家でした。また人間でもありました。あらゆる人の、最高の意味での人間でした。世間から自分を隔絶したため、ひとは、彼を敵意がある人間とみなしました。そして彼は感情を回避したため、無感情だと思われました。ああ、不屈の心を自認するものは、逃げずに立ち止まって、払いのける。もっとも繊細な先端こそ、もっとも容易く鈍ったり、紛ったり、折れたりするものです。過度の感情は、感情の表明を回避します。彼が世間から逃れたのは、彼の愛すべき心の中に、世間に対抗する拠りどころを何ら見出すことができなかったからです。彼が人たちから遠ざかったのは、人たちが彼のもとへ上がって来ようとせず、彼は人々のもとにおりて行くことができなかったからです。彼はそれが分かったので孤独な人生をあゆみました。しかしながら、彼が死にいたるまで、全人類のために、人間的な心を保持していました。そして、家族のために父性的な心を、全世界のために善と血を注ぎました。彼は、そのように生き、そのように逝きました。そしてこれからも永遠に生きつづけるでしょう。
藤田俊之著「ベートーヴェンが読んだ本」(幻冬舎)P120-121

これが弔辞であることを差し引いても、ここで語られているベートーヴェンの「真実」は、本物であると僕は思う。少なくとも、ベートーヴェンの心構え、心底の動機は、音楽によって世界を一つに戻すことであったのである。

ベートーヴェン:
・交響曲第1番ハ長調作品21(1960.10録音)
・交響曲第5番ハ短調作品67(1959.10録音)
・交響曲第8番ヘ長調作品93(1959.10録音)
イーゴル・マルケヴィチ指揮ラムルー管弦楽団

マルケヴィチのベートーヴェンは、とても挑戦的だ(特にティンパニの使い方が刺激的)。鋭角的なアタックが随所に光り、音楽は嫌が応にも煽動的にならんとする。いや、それは、意志的だという解釈もあろう。彼は挑戦する人だった。それゆえに、なるべく広いレパートリーを誇った。

我々はひとつのスタイルや数少ない曲目だけに特化することは許されないのです。つまり我々が演奏するすべての音楽は何世紀も蓄積してきた文化から生まれたものであり、もしそれを理解しようとするのならば、全ての曲の背景を知らなければならないのです。そういう理由で、私自身、なるべく多くのレパートリーを持つように努めていますし、生徒にもそのようにアドバイスしています。
(マルケヴィチへのインタビュー/天露雄訳)
PROC-1168/71ライナーノーツ

第1番ハ長調作品21終楽章アダージョ―アレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェの怒涛に痺れた。青年ベートーヴェンの、未来に捧げる希望がこれほどまでに力強く明朗に表現された演奏があろうか。あるいは、第5番ハ短調作品67第1楽章アレグロ・コン・ブリオの、雄渾で確信的な音と、対する終楽章アレグロの、内へと内へと拡がる(?)微細なエネルギーにマルケヴィチの天才を思う。
その点、第8番ヘ長調作品93は平凡だ。

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