シェリング へブラー ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第6番(1978.1録音)ほか

ベートーヴェンがハイリゲンシュタットを仕事場に選んで来たのは4月末か5月で医師シュミットの忠告によるものであった。その頃は静かな、輝かしい緑野、散歩によし、入浴にも良く、数十分馬車を駆ればヴィーンに行ける地点であった。ベートーヴェンはその村はずれの農家に大きな部屋を借りた。高台にあって窓からはドナウ河からマルクフェルトまで展望された。ヴィーンと反対に北に向かって行けば後年パストラール・シンフォニーの想をねったヘレネンタールの静かな谷があった。
小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(上)」(岩波文庫)P101

苦悩と、そこからの解放の5ヶ月間を思う。
ハイリゲンシュタット。
ここで認められた「遺書」については、どれだけ研究が進もうと、その真意は本人にしかわからない。僕たちは、この長文から読みとれるベートーヴェンの意志をどんな風に解釈することもできるが、すべては想像に過ぎない。
しかし、そこには、大いなる森羅万象との対話から生まれた希望と覚悟がある(と僕は思う)。

大自然と戯れ、そこから触発されたルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。自然の語りかかけが刻印された、ロシア皇帝アレクサンドル一世に捧げられた3つのヴァイオリン・ソナタ作品30。ヘンリク・シェリングの演奏に僕はとことん痺れた。性格を異にする3つのソナタが、自由に、同時に堅固に語られる様。それは、伴奏を務めたイングリット・ヘブラーの可憐なピアノとの相性にもよるのだろうか。

ベートーヴェン:
・ヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調作品30-1(1978.1録音)
・ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2(1979.8録音)
・ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調作品30-3(1978.6録音)
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
イングリット・ヘブラー(ピアノ)

ソナタ第6番イ長調は陽気だ。第1楽章アレグロの溌剌な音調が当時のベートーヴェンの精神の前向きさ(?)を反映するかのような音楽だが(実際には苦悩の中にあった)、それ以上に優美で柔らかいのが第2楽章アダージョ・モルト・エスプレッシーヴォ。ここでのシェリングの甘いヴァイオリンとへブラーの芯のあるピアノとの掛け合いが、恋の魔法のようで堪らない。元々第9番「クロイツェル」に充てる予定だった終楽章アレグレット・コン・ヴァリアツィオーニの変奏も縦横無尽の闊達さ。
ちなみに、シェリングの素晴らしさはいつも緩徐楽章に現れるように僕は思う。例えば、ソナタ第7番ハ短調第2楽章アダージョ・カンタービレに垣間見える寂寥感は、当時のベートーヴェン孤独の表象だろうが、その心を表現するときのシェリングのあまりの巧さ。同じく第8番ト長調第2楽章テンポ・ディ・メヌエット,マ・モルト・モデラート・エ・グラツィオーソも、旋律の親しみやすさと安らかさにベートーヴェンの慈愛を思う。

大自然と対峙するベートーヴェンへの大いなるインスピレーション。
シェリングの悦び、そして、へブラーの歓び。

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2 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。ベートーヴェンがハイリゲンシュタットで作曲したのがこの3曲だったのですね。改めて聴いてみました。今までどの曲も別の演奏家で聴いているはずですが、6番は初めて聴くように思いました。メロディーもヴァイオリンとピアノの掛け合いも微笑ましく安らぎます。7番はどこか「運命」交響曲の雰囲気があります。シェリングとヘブラーの演奏では初めて聴きますが、改めてシェリングにノックアウトされました。ここで岡本様が書かれているように、どの曲も2楽章のシンプルなメロディーに万感がこもっていて、ヴァイオリンでドイツリートを聴いているような錯覚に陥りました。シェリングの息遣いもその入魂ぶりを感じさせます。
7番の2楽章はこれほどの感銘を受けた覚えはなく、シェリングの芸に加えて、ハイリゲンシュタットで作られたということも影響しているのかもしれません。ベートーヴェンの、過酷な運命を受け入れた後の寂しさと諦め、安らぎが感じられるようです。これから何度も聴きたいと思います。
ありがとうございました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

このあたりのヴァイオリン・ソナタはどうしても軽視しがちですよね。僕もハイリゲンシュタットで作曲されたものだという認識をあらためてもってようやく心に響きつつある今日この頃です。(笑)
ありがとうございます。

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