ヴァイル指揮ターフェルムジーク ハイドン ミサ曲第10番「ハイリヒ・ミサ」ほか(1994.6-7録音)

ベートーヴェンは、ボンのマクシミリアン選帝侯によってハイドンを紹介された。ハイドンはロンドンに行く途上と帰国途上にボンに立ち寄りベートーヴェンに出会っている。ベートーヴェンはウイーンに移住して間もなく、ハイドンのもとで約1年間指導を受けることになった。
藤田俊之著「ベートーヴェンが読んだ本」(幻冬舎)P288

ボンで身につけてきた音楽理論がつくづく弱いことを、ウィーンに出てきてベートーヴェンは痛感したらしい。それより前、最初にウィーンを訪れたときは、モーツァルトに教えを請う目的だったようだ。しかし、モーツァルトからは期待したような教えは受けることができなかった。ましてや母の病気の知らせを受け、急遽ボンに帰らなければならなかった。

故郷に近づくにつれ、母の容態は思わしくないからなるべく旅を急ぐようにとの手紙を、しきりと父から受けました。それでできるだけ急ぎました。わたし自身も身体を損ねていましたので。病める母にもう一度会いたいとの切なる願いが、あらゆる障碍を突破させ、最大の困難にも打ち勝つのを助けてくれました。母に会えはしましたが、ひどく惨めな容態でした。肺病だったのです。多くの苦悩と悩みに耐え忍んだ揚句、7週間ほど前に遂に亡くなりました。わたしにとっては実に良い親切な母であり、最良の友でした。
(1787年9月15日付、ヨーゼフ・ヴィルヘルム・フォン・シャーデン博士宛)
小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(上)」(岩波文庫)P22

何と優しく、慈愛に溢れる(16歳の)手紙であることか。
数多残された日記や書簡の類からベートーヴェンの真実が甦る。
青年ベートーヴェンはハイドンやモーツァルトの影響を多大に受けた。おそらく音楽家にとって大切な宗教を超えた信仰の重要さも彼らから受け取っているように(僕には)思われる。

愛するモーツァルトに説得され、ハイドンはある日、ウィーンでのフリーメーソン結社の集会に参加した。だがこの結社への興味はたちまち失せ、その秘密結社には2度と顔を出さなかった。彼の人生と音楽は全世界のためにあった。《天地創造》を演奏するため一堂に会した音楽家に向かって、彼はこう語った。「天の下には幸福に満たされた者などほとんどいない。悲しみや不安がどこからでも追いかけて来る。おそらく皆さんの働きは、いつの日か、悩み疲れた者がしばしの休息と清涼剤を得る泉となるかもしれない」。
パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P43

神から授かった才能を駆使して、彼は生涯のほぼ大半を謙虚に捧げ、エステルハージ家に仕えた。後にベートーヴェンが(エステルハージ候からの委嘱による)ミサ曲ハ長調を作曲するにあたり研究を重ねたのが、ハイドンのミサ曲だった。

教会における大規模なオーケストラの使用を禁じた1783年の皇帝ヨーゼフ二世の宗教禁令により、ハイドンのミサ創作に13年間の空白が生じたとはいえ、1796年から1802年にいたる7年間には、晩年のハイドンを彩る傑出したミサ曲群が出現する。60歳代の円熟の極みにあるハイドンの仕えたエステルハージ侯爵家の4人目の君主ニコラウス二世が、とりわけ宗教音楽を愛し、《ザロモン交響曲集》によってロンドンで大成功を博して帰国したハイドンに、侯爵夫人マリア・ヨゼファ・ヘルメネギルトの命名日の祝祭のために、毎年新たなミサ曲を作曲する義務を課したことが、晩年の6曲のミサ曲の成立の直接の要因となっている。
作曲家別名曲解説ライブラリー26「ハイドン」(音楽之友社)P372

1796年の通称「ハイリヒ・ミサ」。終止敬虔な音調で、音楽は厳かに進行する。例えば、第3曲クレドにおけるアダージョの部分には、モーツァルトの「魔笛」からの木霊が聴こえるよう。

ハイドン:
・ミサ曲第10番変ロ長調Hob.XXII:10「オフィダの聖ベルナルドの讃美のミサ」(ハイリヒ・ミサ)
・マーレ・クラウスム(「封鎖海論」)Hob.XXIVa:9(断章)
・モテット「くるおしく、浅はかな心配は」Hob.XXI:1 No.13c
・モテッティ・デ・ヴェネラビリ・サクラメントHob/XXIIIc:5a-d
・マリー・テレーゼ王妃のためのテ・デウムHob.XXIIIc:2
イェルク・ヘリング(テノール)
ハリー・ファン・デル・カンプ(バス)
テルツ少年合唱団(ゲルハルト・シュミット・ガーデン:合唱指揮)
テルツ少年合唱団独唱者
マティアス・リッター(ソプラノ)
サイモン・シュノール(アルト)
ベネディクト・シュロ(テノール)
オアニート・イコノモウ(バス)
ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジーク(1994.6-7録音)

何より喜びと希望に満ちる充実のミサ曲。
「足るを知る」を実践したヨーゼフ・ハイドンは、神や周囲の者への感謝を表すことを常としたという。技術的な意味でベートーヴェンは彼から学ぶことは少なかったようだが、少なくとも神への信仰という意味において、彼に倣うことはあっただろう。ここでのヴァイル指揮ターフェルムジークの演奏は実に透明で、極めて美しい(テルツ少年合唱団の歌唱が出色)。

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