世界大戦最中のフルトヴェングラーの実況録音は、どれもが鬼気迫る。果たして目前に流れる音楽の背景にあるドキュメントに意識を向けると、音楽は一層心に沁みる。
戦争が決定的な展開を見せて、ドイツに大災害がもたらされたにもかかわらず、文化的な生活は戦争前と同じように続いていた。人々は群れをなして演劇や音楽の催し物に参加したが、空爆はますます頻繁になり、危険にさらされていた。フルトヴェングラーは相変わらずベルリン・フィルハーモニーとウィーン・フィルハーモニーの巡業を続けていた。一般大衆にとって演奏会の入場券を手に入れることが強迫観念のようなものになっていた。新聞などの個人広告欄には、タバコやコーヒーなどの品薄となっていた日用品と入場券を引き換えたい旨の案内が出ていた。
~サム・H・白川著/藤岡啓介・加藤功泰・斎藤静代訳「フルトヴェングラー悪魔の楽匠・下」(アルファベータ)P66
戦争の悲惨と人類の無法の狂気の沙汰(しかし、それこそが現実なのだ)の中、人々が何としても癒しを求めていたことがわかる。音楽という慈悲を提供するという志の一方で、フルトヴェングラーの葛藤が日増しに強くなっていったのだと知るにつけ、音楽のひたすらの美しさに心がことさらに動く。
1943年後半にスカンジナヴィア全土を巡業したことがあったが、その折オットー・シュトラッサーその他ウィーン・フィルハーモニーの団員は、ドイツが陥っている方向についてフルトヴェングラーがひどく心を痛めているのを目の当たりにした、そこでスウェーデンかノルウェーに残るように勧めた。シュトラッサーが私に語ったところでは、「彼は頭を振って言いました、ドイツの人々が私をもっとも必要としているのに、ドイツ国民を見捨てることはできません」。
~同上書P66-67
フルトヴェングラーの心中たるやいかに。涙なくして聴けぬ壮絶なベートーヴェンの記録。
旧フィルハーモニーでのうねるハ短調交響曲。フルトヴェングラーの思念は拡散することなく、異様な(?)集中力と共に手兵ベルリン・フィルを牽引する。とはいえ、それ以上に瞠目に価するのが「田園」交響曲(ベルリン国立歌劇場ライヴ)。いつものフルトヴェングラーの方法である、第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポの哲学的解釈は、あまりに動的で、時に管弦楽が鳴り切らないほどの緊張感に満ちる。そして、第2楽章アンダンテ・モルト・モッソの思いのこもった粘る歌。さらに、第3楽章アレグロから第4楽章アレグロ(ティンパニの強打の何という激烈)、そして終楽章アレグレット(懐かしさと憧れの極致!目くるめくテンポのあまりの伸縮に驚嘆するが、コーダの祈りに納得)の怒涛の波状攻撃は、アンサンブルの乱れなど何のその、音楽に陶酔するフルトヴェングラーの姿と、紡がれる音楽の振幅の広さに度肝を抜かれ、唖然とする(?)聴衆の心までもが刷り込まれるようだ。
ところで、交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」にまつわる興味深い事実を知った。ジョナサン・デル・マーによると、自身が校訂したベーレンライター版において、楽章の標題にベートーヴェン自身が最後に決定したものを復元しているというのである。
第1楽章はこれまでは「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」であったのが、「田舎に到着した時に人の心に目覚める愉快で明るい感情」と変更、第4楽章は従来の「雷雨、嵐」から「雷鳴、嵐」へと、そして終楽章は「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」から「牧歌 嵐の後の、神への感謝と一緒になった慈悲深い気持ち」へと変更されている。
この曲が元々単なる情景描写でないことはよく知られた事実だが、やはりベートーヴェンが自身の心情を、行動の心底にある動機を重視していたことが、こういう点からもよく理解できる。