シューリヒト指揮ウィーン・フィル ブルックナー 交響曲第9番(1955.3.17Live)

カール・シューリヒト指揮ウィーン・フィルによるブルックナーの正規録音は、いずれもが晩年のシューリヒトの崇高な芸術を記録した魅力的な音盤だが、彼が作品に込めた思念の強さという意味においては、聴衆を目前にしたライヴ録音には敵わない。音楽が終始うねり、人間的感情の奔流に思わず目頭が熱くなる。

カール・シューリヒトとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との恋物語は、1955年3月16日に一瞬で恋に落ちたところから始まった。
この日、ドイツ人指揮者はウィーン・フィルハーモニーを指揮して、ベートーヴェンの交響曲第4番とブルックナーの交響曲第9番を演奏していた。会場はコンツェルトハウスで、彼らは無愛想に演奏していた。彼らは、格下のウィーン交響楽団が演奏していたコンツェルトハウスにはめったに来ることがなかった。ここで演奏することになったのは、ウィーン合唱アカデミーが、この偉大なブルックナーの交響曲第9番の演奏に必要だったからだ。当初この演奏会の曲目にはシューマンの《マンフレッド》が入っていたのだが、ブルク劇場で有名な俳優でもある歌手が、外国からの招待を受けて出演できなくなってしまい、ベートーヴェンとブルックナーの作品で「我慢」しなければならなかったのである。演奏会の第一部でフィルハーモニーの楽団員たちは、調子のよくない時はいつもそうだが、お役所仕事のように演奏していた。幕間にシューリヒトは真っ青になって、「私が誰なのかを思い知らせる」と妻に息巻いた。彼が非常な集中力と情熱を傾けてブルックナーの交響曲第9番の演奏に臨むと、演奏家たちは感動して魅了され、たちまち変身していったのである。バルコニーのマルタの隣に座っていた指揮者のカール・ミュンヒンガーは、「大成功だ、大成功だ」と立ち上がって叫び、客席は興奮状態になっていた。各パートの首席奏者たちは演奏後にこの指揮者の楽屋を訪れ、自分たちは真のマエストロをここに見つけ出しましたと嘘偽りのない気持ちを語ったのであった。

ミシェル・シェヴィ著/扇田慎平・塚本由理子・佐藤正樹訳「大指揮者カール・シューリヒト―生涯と芸術」(アルファベータ)P288-289

シューリヒトとウィーン・フィルの出逢いにまつわる感動的なエピソードを読むにつけ、まさかその時の演奏が聴けることになろうとは思いも寄らず、実際耳にしたとき、僕は大いに感動した(実際には第2日目のものだが)。

・ブルックナー:交響曲第9番ニ短調
カール・シューリヒト指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1955.3.17Live)

ライヴのシューリヒトの棒は凄まじい。並大抵でない集中力が、オーケストラを牽引する。団員がさぞかし吃驚しただろうことは、演奏を聴けば容易に想像がつく。
神に捧げし交響曲の峻厳な第1楽章の、漲るエネルギーと、あまりに人間臭いパッションに、もう少し冷静に、静かに治めた方が良いのではないかと思うほど。何よりコーダの崇高さ。また、怒涛の第2楽章スケルツォの生命力!そして、第3楽章アダージョの、陶酔的な慈悲の表情に心を動かされる。

この感動的なコンサートの数日後、シューリヒトがウィーン・フィルに送った感謝の手紙が残されている。

私はここに、あなた方の比類ない芸術と素晴らしい献身のお蔭で、深く呼び覚まされた魂を感じました。その経験の前ではどんな言葉も色褪せてしまうほどです。私はあなた方に心から溢れんばかりの感謝と讃美を送りたいのです。そして、ベートーヴェンとブルックナーを創り上げるあなた方の、プロフェッショナルとしての心意気と、その完璧な音楽に、どんな言葉をもってしても語り尽くすことができません。

これぞ相思相愛というもの。この後に成立したウィーン・フィルとの数々の録音を思うにつけ、何と感慨深いことだろう。

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