マイニヒ アシュケナージ ショスタコーヴィチ ヴィオラ・ソナタハ長調作品147(2015.9録音)

死を意識したとき、否、死などつゆほども思わないのに、死を目前にしたときの人間の行動は、まるでそのことがわかっているかのようだ(周囲の大切な人たちに別れを告げるために連絡をしたりすること多々)。

意識にわずかに先行して人間の手足は動いているという科学的論拠に基づいた最新の研究成果もあるようだが、命、すなわち霊性が主体だとするなら、そのことはあながち間違いではないように思われる。

アッシェンバッハと同様、ショスタコーヴィチとブリテンは長生きしなかった。ショスタコーヴィチは1973年の最後のアメリカ旅行の際に、アメリカ国立衛生研究所の医者たちのところで一日を過ごしたが、医者たちは彼の数多くの健康上の問題に何ら解決法を示すことができなかった。アメリカ人の通訳アレクサンダー・ドゥンケルによると、作曲家は医者の言葉を冷静に、ほとんど肩をすくめて受けとった。彼はピエール・ブーレーズとニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会に立ち寄り、コンサート後の宴会に出席した。そこでぎこちない瞬間が生まれた。ショスタコーヴィチが「モダニズム第一の伝道者」と呼ぶブーレーズが、これまで何もいいことを言ったことがないのに、その手に屈んでキスをしたのである。「僕はすごく面食らったよ。手を引く間もなかった」とショスタコーヴィチはグリークマンに報告している。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽2」(みすず書房)P464

やはりどこか偏屈さがあるのだろうと思う。
ピエール・ブーレーズとの偶々の邂逅についても実に興味深い報告だ。
陰陽二元世界において、批判すら認め、賞賛するのと同義なのである。

メトロポリタン歌劇場に《アイーダ》を聴きに行くと、ショスタコーヴィチはより心のこもった尊敬の態度で迎えられた。最後の休憩中に、オーケストラのトランペット奏者たちが、第5交響曲の終楽章の冒頭のフレーズを演奏して彼に敬意を表したのだ。こうしてショスタコーヴィチは、ボックス席に座る偉大な人物として、畏敬の念を一身に集めた。
~同上書P464

いずれの出来事もショスタコーヴィチの天才を如実に示すものだ。
おそらく世界はまだまだ彼に偉大な作品の創造を求めていたことだろう。
しかし、彼の余命は決して長くはなかった。

ショスタコーヴィチは右手を動かすのに不自由はしたものの、どうにかして音楽を書き続けていた。その最後の作品、1975年7月のはじめに書かれたヴィオラ・ソナタには、不思議なことにベートーヴェンの「月光」ソナタの特徴がしみ込んでいる。ショスタコーヴィチは8月9日に68歳で亡くなった。このソナタの初演で、フョードル・ドルジニンは、ムラヴィンスキーが第5の初演でやったように、手でスコアを掲げて聴衆の喝采に応えた。
~同上書P464

20世紀随一の偉大な音楽家の最後はあっけないものだった(死とはそもそもそういうものだ)。

・ショスタコーヴィチ:ヴィオラ・ソナタハ長調作品147(1975)
アダ・マイニヒ(ヴィオラ)
ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)(2015.9.17-20録音)

ショスタコーヴィチらしい暗澹な音調の中に垣間見る永遠の光明。
沈潜し行く第1楽章モデラートの幻想。

しかし、夢の中で彼は笑う。もはやここまでかと最期の様子を思い描きながらいわば「死の舞踏」を実践するのだ(第2楽章アレグレット)。

第3楽章アダージョはショスタコーヴィチの人生の総決算。何と、ここでは彼の創作した15の交響曲がすべて引用されているというのだから驚きだ。ベートーヴェンの「月光」ソナタの木霊は、幻たる今生との別れを惜しむ辞世の音楽であり、偉大なる音楽家の遺書だ。

エマーソン弦楽四重奏団のショスタコーヴィチ作品122ほかを聴いて思ふ エマーソン弦楽四重奏団のショスタコーヴィチ作品122ほかを聴いて思ふ

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