吉田秀和さんは、リヒテルを肯定していて、随分褒め称えていたという話を幾度か聞いたことがあった。いつのどの書籍での論なのか不明なのだが、少なくとも僕には、吉田さんがリヒテルのことを手放しで賞賛した文章を読んだ記憶が薄い。
リヒテルのレコードも、もちろん実演も、何度も触れられている吉田さんが書かれる論は、決して断定的でなく、この不思議な感覚のピアニストをあるときは推奨し、またあるときは疑問を抱かれている。おそらく、その意味では出来不出来の激しいピアニストだったのではないか、残念ながら実演に触れる機会を逸した僕にはそんな風に思える。
ちなみに、ハイドンのト短調ソナタのレコードを聴いて、吉田さんは次のように書いている。
私は、おもしろいと思った。それに、ペダルもかなり耳につく。こういうのをみると、このリヒテルという人は、作品に対する自分の解釈という点で、ずいぶん、頑固で、はっきりした考え方をもっているのだなとわかるような気がした。何しろ、前にきいたベートーヴェンが。様式的にいって、ちょっと疑問だったので、作品のスタイルについてどう考えている人か、私は、しばらくわかりかねていたのである。ただし、彼の考えの当否については、疑問がなくはない。
~「吉田秀和全集13 音楽家のこと」(白水社)P393
そう、はっきり「よくわからない」と、昭和50年当時吉田さんは言っているのである。その一方、その頃リリースされたベートーヴェンの初期ソナタ、作品2-3と作品7が収録された1枚については、その社交性と派手さを褒め、「音楽のこういう性格を、らくらくと自然に弾きわけ、浮かび上がらせるリヒテルの大家ぶりを、私はたっぷり楽しむことができた」と締め括っているのだからなお一層興味深い。
リヒテルのベートーヴェンを聴いた。
ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調作品2-1
・ピアノ・ソナタ第7番ニ長調作品10-3
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)(1976.6録音)
疾風怒濤、モーツァルトのト短調交響曲の主題を引用するかのような青年ベートーヴェンの勢い明朗な音楽(作品2-1)を、リヒテルはじっくり、しかし軽々と歌い込む。第2楽章アダージョにみる優雅で静かな音調は、夢見るベートーヴェンの恋心の反映か。あるいは、無骨な第3楽章メヌエットに感化され、終楽章プレスティッシモは第1楽章アレグロへの返答なのか、嵐のように過ぎ去るのである。
そして、ソナタ作品10-3は、指で音を上手に転がすように奏でられる第1楽章プレストから惹きつけられる。暗澹たる第2楽章ラルゴ・エ・メストもゆったりと心を込めて紡がれ、何だか涙がこぼれるほど感激。可憐な第3楽章メヌエットを経て終楽章ロンドの、囁くような冒頭からうねりを上げるクライマックスの興奮よ。
僕はとても良いレコードだと思った。
少なくとも若き日のベートーヴェンのチャレンジ精神、気概に満ちた志を何とか見える化しようと勤しむリヒテルの挑戦が手に取るようにわかり、面白い。