17世紀から18世紀にかけては、リュートとハープシコードのための音楽は、一般的に「墓碑銘」としての音楽形式だったそうだが、バッハの「シャコンヌ」は、1720年7月に亡くなった最初の妻マリア・バルバラへの追悼のための音楽だったという説がある。
バッハのコラール「キリストは死の縄目に繋がれり」の歌詞に基づく衝撃のトンボー(墓碑銘)。
エマ・カークビーとカルロス・メーナによる歌唱に僕は痺れた。
慈しみ深く、そして哀しい歌声。人間技を超えたその「音」に僕はまた真実を見たように思った。
リュートの繊細な響きは、生を超え、死を真に了するための狼煙のように思えなくもない。超絶テクニックを伴いそうなモレーノの編曲が見事だ。
バッハはルターの信念にことごとく共鳴しており、手紙の中でこう断言している。「音楽の唯一の目的は、神の栄光が顕され、人の魂が再生されることでなければならない」。作曲に取りかかると、楽譜の余白によく頭文字JJ(Jesu Juva イエスよ、われを救いたまえ)あるいはINJ(In Nomine Jesu イエスの御名において)と書き込んだ。楽譜の終わりには、決まってSDG(Soli Deo Gloria 神にのみ栄光あれ)と書き込んでいる。彼にとって、この頭文字は宗教心を示すありふれた決まり文句ではなく、偽りのない個人的な献身の証しであった。
~パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P19-20
言葉にならない敬虔さこそ、音楽の極み。
バッハの音楽の美しさ。ホセ・ミゲル・モレーノのバロック・リュートの枯れた官能。