トルトゥリエ デ・ラ・ポー メンデルスゾーン チェロ・ソナタ第1番&第2番(1978.4録音)

ファニーにはフェーリクスに対して不満に思っていたことがもう一つあった。ファニーからの促しもあって、フェーリクスも心の安定を得るために新しい家庭を築こうとしていた。そして1836年9月9日にフランクフルト・アム・マイン在住の若い女性と婚約したが、婚約者を姉妹弟に紹介しないまま、翌年の3月26日に現地で結婚してしまったのである。一族の中で結婚式に参列したのは、フランクフルト在住の伯母ドロテーアだけだった。姉妹弟たちの結婚にいたる経緯を見ていたフェーリクスは、おそらく母親の干渉を避けるため、一人でことを進めたのである。
山下剛著「もう一人のメンデルスゾーン―ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルの生涯」(未知谷)P128

あくまで冷静なフェリックスの性格を表す典型的なエピソードであると思う。
しかし、彼の早世は、終生のこういう余計な気を遣った、精神的ストレスに起因するものだと見ても良いだろう。そして、ようやくその年11月に初めて義妹となったセシルとの対面を果たしたファニーがクリンゲマンに宛て、次のような手紙を書いていることがまた興味深い。

私は今では義理の妹を知って、たしかに胸の大きなつかえが下りました。というのも、この関係のせいでそれまで私の心の中に不快感や気まずい雰囲気がひどくはびこっていたことを否定することができないからです。彼女はしかしとても愛すべき、子どものように捉われのない、さわやかで気立てのやさしい、いつも変わらず明るい性格なので、私は心から幸せな気持ちでフェーリクスをほめてやることができます。よくぞ彼女を見つけたと。だって彼女はフェーリクスを言葉では言い表せないほど愛していて、それでいてフェーリクスをあまりに甘やかしすぎず、彼の気まぐれに平静に対応しているのですもの。あの調子だと彼女は最後にはフェーリクスの気まぐれも治してしまうかもしれません。彼女の存在はさわやかな空気のようで、とても軽やかで、澄み切っていて、自然なのです。
~同上書P130-131

腹を割った手紙の類からは、作曲家の知られざる素顔が垣間見え、それが作品にどのように影響しているのかを想像できる。本来ならば新婚早々の最も幸福な時期にもかかわらず、その後もフェリックス一家は家族とは距離を置いたままで、それゆえに、ファニーとフェリックスの間のわだかまりもなかなか消えなかったという。

明朗な旋律と軽快なリズムに富むメンデルスゾーン作品にあって、常にどこか哀感を思わせるのは、そういう事情もあってのことなのかもしれない。ロベルト・シューマンが絶賛したチェロ・ソナタ第1番はその頃生み出されたものだ。甘美なメロディと開放的な音調の裏側に潜む不安の念を、トルトゥリエが見事に捉え、音化する。

メンデルスゾーン:
・チェロ・ソナタ第1番変ロ長調作品45(1838)
・チェロ・ソナタ第2番ニ長調作品58(1843)
ポール・トルトゥリエ(チェロ)
マリア・デ・ラ・ポー(ピアノ)(1978.4.12&13録音)

そして、一層充実のソナタ第2番の落ち着きと愛らしい音調に心動かされる。
愉悦満ちる第2楽章スケルツォを経て、愁える第3楽章アダージョにおけるチェロの慟哭と、伴奏ピアノの囁きが融け合う様子に僕は言葉を失う。

ところで、フェリックス・メンデルスゾーンが才能を評価したソプラノ歌手ジェニー・リンドの存在が彼の作曲活動に与える影響も見逃せまい。リンドがコンサートのため初めてライプツィヒを訪れたとき、フェリックスは彼女を夕食に招待したという。

セシルはセシルで、ジェニーに軽い嫉妬をおぼえていたようだ。フェリックスが手ばなしでジェニーの才能をほめたたえ、自分には向かないとやめていたオペラの作曲に、もう一度トライしてみようと意欲をわかせている。それだけジェニーの存在に刺激をうけたということで、そんなことはこれまでのどの歌手に対してもなかっただけに、奇妙な不安を感じる。食卓での会話も音楽中心になりがちで、さして興味のないセシルは、のけ者にされたような気分だった。
中野京子著「メンデルスゾーンとアンデルセン」(さ・え・ら書房)P177

微妙な人間関係が与える影響と、思念と感情の坩堝は、彼の作品に(ある意味)活気をもたらす。そして、そういうメンデルスゾーン作品を弾かせたら、ポール・トルトゥリエの右に出る者はいないだろう。時間に潤いを与えてくれる美しいチェロ・ソナタの名演奏に拍手喝采を送りたい。

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