
20代の半ばに気腫をわずらっていると診断されたが、その後何十年も煙草を喫っている。煙草をやめなければ25歳で死ぬだろうと言われた。その後は45歳で死ぬと言われ、さらには55歳までだと言われた。ところが死は免れた。私は煙草を喫い、酒を飲み、夜更かしをして遊びまわっている。何ごとによらず深入りしているよ。
(「USAトゥデイ」1986年8月4日号)
~ジョーン・パイザー著/鈴木主税訳「レナード・バーンスタイン」(文藝春秋)P8
レナード・バーンスタインが亡くなってまもなく30年になる。
あれほど衝撃だったニュースはない。
身内が亡くなったのかと思うほどのショックを僕は受けた。少なくとも当時、僕はバーンスタインの演奏を偏愛していた。彼の録音が新しくリリースされるたびに手に入れ、聴き込んだ。今となってはすべてが懐かしい思い出だ。
無鉄砲な人だ。
自分の欲求には極めて素直な人だったのだろうと思う。
そして、最後の年に彼が語ったように、バーンスタインは音楽と人が好きだった。好き勝手に生きたと同時に、人一倍人を愛したのだともいえる。そのことは、特に晩年の演奏に如実に反映される。
異様な思念が乗るシューマンの交響曲第2番ハ長調。何より第3楽章アダージョ・エスプレッシーヴォにおける生への執着の如くの粘り。精神を病んだロベルト・シューマンが世に問うた音楽も、バーンスタインの手にかかれば正常な、真面な、濃厚な作品に思えた。
わずか2週間ほどで完成をみたチェロ協奏曲が美しい。
何より、若き日のマイスキーの、あくまで指揮者の思念に支配されながらも相応の主張を押し出す姿勢に僕は共感を覚える。相変わらずのバーンスタインの、粘着気質の伴奏が、ロベルト・シューマンの浪漫を一層喚起する。そして、3つの楽章が続けて演奏される作品を、バーンスタインとマイスキーは一体になって楽しむのだ。特に、終楽章の堂々たる弾け具合いと言ったら。
バーンスタインはオーケストラを、同時にソリストを大きく包み込む。
私は人と音楽を愛しているのだという彼の声が聞こえてくるようだ。