シューリヒト指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」ほか(1964.10.8Live)

創造者の権利が守られていない時代にあって、生きることの大変さは想像を絶するものだったように思われる。

イギリスとドイツの新聞がドゥルリ・レイン劇場でのこの作品の成功についていっぱい取り上げているのに、また劇場自身もそこそこの結構な収入を得たのに、作者はそれについての嬉しい知らせもなく、まして写譜代の補填など皆無で、あらゆる利益の亡失です。なぜなら、ピアノ編曲が彫版されたのが本当なら、ドイツの出版社は誰ももはやそれを買いません。おそらくピアノ編曲はやがてドイツの出版者の誰かからロンドンの続版で出て、私は名誉も報酬も失うのです。
(1815年6月1日付、ロンドンのザロモン宛)
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築3」(春秋社)P935

「ウェリントンの勝利」のロンドンでの出版にまつわる話である。
実際にはロンドンでのピアノ編曲はなかったようだが、ベートーヴェンをそこまで疑心暗鬼にさせるほど事態は深刻だった。情報のやり取りも時間がかかる時代のこと、ましてやロンドンとドイツとのビジネスとなると、想像すら簡単に及ばない世界だったのだろうと思う。

イギリスのために書いたかの曲が、ナポレオン戦争の突然の終息で、発表の場をひとまずウィーンに移さざるを得なかったことが、この問題の背景の一つにある。

楽聖ベートーヴェンの、俗社会で生きねばならない苦悩の吐息が聴こえるようだ。世界の変転は激しく、そしていつの時代も簡単には予想できない。

晩年のカール・シューリヒトがベルリン・フィルを振ったコンサートの放送録音が素晴らしい。例えば、ベートーヴェンの「エロイカ」第1楽章アレグロ・コン・ブリオのコーダでの絶妙なリタルダンドが、最高の瞬間を刻む。続く第2楽章「葬送行進曲」での思念詰まる苦悩の表現もトリオの澄明な音調によって救われるよう。何という美しさ!!

・シューマン:「マンフレッド」序曲作品115
・モーツァルト:交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」
・ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
カール・シューリヒト指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1964.10.8Live)

不思議に「プラハ」交響曲は音質が今一つ。
しかし、シューリヒトの十八番だけあり、第1楽章序奏アダージョ冒頭の和音から力が入り、聴く者をモーツァルトの深遠な世界へとあっという間に誘ってくれる。主部アレグロの絶妙に揺れる心地良いテンポにも興奮。そして、可憐で優雅な第2楽章アンダンテが、何と峻厳な音楽として響くことか。当時のモーツァルトのただならぬ心境をシューリヒトはまるで本人になったかのような心情で表現するのである(生き物のような動き)。終楽章プレストの、抑え気味ながら音楽の内的勢いが僕たちを刺激する。名演奏だ。

ちなみに、シューマンの「マンフレッド」序曲へのシューリヒトの思い入れも並大抵でない。内側で燃える激情渦巻く堂々たる表現に、何て佳い曲なんだと感嘆。

シューマンも、モーツァルトも、生活するという意味ではとても生きにくかったであろう天才たち。しかし、その創造物は数百年を経た今も世界中の人々に感動を与える代物だ。
天才たちの、そういった人としての苦悩を見事に表現できるシューリヒトの棒にもあらためて感激。

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