カラヤン指揮ベルリン・フィルの「ウェリントンの勝利」ほか(1969.1録音)を聴いて思ふ

外観をいかに磨くか。それは、確かに大事なことだ。
しかし、魂がこもっていない美しい演奏は、木偶の棒であり、残念ながら普遍的ではない。

カラヤンの音楽は、外見ばかりを錬磨した、内容のないものだとばかりずっと思ってきた。それは、間違いなく外部からの余計な刷り込みである。もちろん彼は外面を重視した。だから、極めて心地良い、(時に過ぎるほどの)甘美な表現を搭載した。彼の音楽のすべてを認めるわけではないが、彼のポリシーが見事に生きる場合が幾度となくあることを知ったのは、音楽を趣味にしてから随分経過してのことだった。

何より自分の耳を、自分の感性を信じた方が良い。

例えば、ベートーヴェンの劇音楽「エグモント」。灼熱とは言わないまでも、この、ゲーテの名戯曲に付随した音楽が、華麗に、そして美しく響く様子に、それはカラヤンにしか成すことができなかった方法で、それはそれでありなんだと僕は知った。ゲーテの魂はある意味スポイルされているが、序曲からして色気たっぷりの、ふくよかでありながら強靭な響きに僕は感動した。
グンドゥラ・ヤノヴィッツの歌う、第5曲クレールヒェンのリートの深い想念、そして、対である第8曲「クレールヒェンの死」における、葬送とは思えぬ静かな官能。すべてはカラヤンの真骨頂。

ベートーヴェン:
・ゲーテの悲劇「エグモント」のための音楽作品84
・「ウェリントンの勝利、またはヴィットリアの戦い」作品91
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(クレールヒェン、ソプラノ)
エーリヒ・シェロー(エグモント、話し手)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1969.1録音)
・軍楽のための行進曲ニ長調WoO24(1816)
・軍楽のためのポロネーズニ長調WoO21(1810)
・軍楽のためのエコセーズニ長調WoO22(1810)
・軍楽のための行進曲ハ長調WoO20(1823?)
・2本のクラリネット、2本のホルン、2本のファゴットのための行進曲WoO29(1798)
・軍楽のための行進曲第1番ヘ長調WoO18(1809)
・軍楽のための行進曲第2番ヘ長調WoO19(1810)
ハンス・プリーム=ベルクラート指揮ベルリン・フィルハーモニー管楽アンサンブル(1969.4録音)

愚策というなかれ。「ウェリントンの勝利」は、カラヤン魔法をもってして、ようやくベートーヴェンの交響曲として認められたのではなかろうか。実に健康的で、あっけらかんとした表情が、(効果音?を多用した)映画音楽然としてあっぱれ。

“God save the king”のなかにどんな祝福があるか。イギリス人に少しわからせてやろう。
小松雄一郎訳編「ベートーヴェン 音楽ノート」(岩波文庫)P26

1813年、「ウェリントンの勝利」を作曲するにあたり、ベートーヴェンはイギリス国歌を引用した。別称「戦争交響曲」とはいえ、これは喜びの音楽であり、ならば(無頓着な)カラヤンの棒によってこそ効果を発揮するのだ。

五線紙一冊が1グルデン12クロイツェルする。—公衆のために書く時、ずっと美しいものが書けるということはたしかだ。速やかに書く時も然り。
~同上書P26-P27

内的発露による純粋創作より、人々のために書き上げた大衆音楽は根っから美しいとベートーヴェンは説く。少なくとも人々から支持されなければ音楽家としては成り立ち得なかった時代ならでは。しかしそれは、あくまで外面上のことだ。
ちなみに、管楽アンサンブルによる軍楽のための作品は、今となってはいずれも取るに足らない音楽たち。

ベートーヴェンとテプリッツで識り合いました。彼の才能にわたしは驚きました。ただ残念なことには、彼は全く不羈奔放な個性である。彼がいやでたまらぬものを見出しているのは、確かに誤りではない。だがそう考えたからとて、世の中を彼にとっても、あるいは他人にとっても楽しくできるものではない。彼は聴覚を失っているのだから、それは大目に見て赦すべきであり、大変気の毒なことである。聾ということは社交上にはともかく、彼の存在にとって音楽上ではたぶんそれほどの障害ではないのではないか。それでなくとも寡黙な性質である彼には、こうした不便が輪をかけている。
(1812年9月2日付、カルルスバードのゲーテよりカルル・フリードリヒ・ツェルター宛)
小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(上)」(岩波文庫)P330

ゲーテのこの報告は、ベートーヴェンの二重人格的変人度合いをあからさまに示すものだが、彼が明らかのその天才に舌を巻いていることが理解できる。崇高で革新的な作品を世に送り出したのはベートーヴェンであり、また、誰もが口ずさめるポピュラーな音楽を書くことができたのも彼なのである。さしずめカラヤンは、後者の性質、ベートーヴェンの俗的な側面を音化させたら右に出る者はいないほどの力量を見せるようだ。

 

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