シュナーベル ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第31番作品110(1932.1.21録音)ほか

「ミサ・ソレムニス」作曲の頃のベートーヴェンの苦悩の原因は、病や生活の心配など様々あったが、いよいよ難聴の悪化がもたらした精神的苦痛は計り知れないものだった。

1818年2/3月頃、彼は初めて会話帖を使用し、自宅では石板も使い始めた。石板は書いては消すの繰り返しだから証拠は残らないが、会話帖は139冊が現存しており、その保存と解読には複雑な問題が横たわっている。
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築3」(春秋社)P992

残された大部の会話帖のお陰で後世の僕たちには、ベートーヴェンの日常、心の声までもが(解読の必要性はあれど)リアルに見えるのである(願ったり叶ったり)。それにしても難聴によるコミュニケーション難は本人にどれほどのプレッシャーをもたらしたことか(周囲の人々にも)。

いささか信憑性のありそうな、さもありなんとする話が、エドゥアルト・ハンスリック(1825-1904)によって1867年にパリで晩年のロッシーニと会見した談話として記録されている。「私は非常に正確にベートーヴェンについて覚えています、半世紀もたっていますが。(中略)イタリアの詩人カルパーニに仲介してもらい、同人は私たちをただちにそして丁重に迎え入れてくれました。もちろん訪問は長くなかったのですが、というのはベートーヴェンとの会話はずばりばつの悪いものでした。彼はその日はとりわけ聞こえが悪く、私が最大に叫んでも、解ってもらえませんでした。イタリア語に慣れていなかったことが彼には会話をなおのこと困難にしたのかもしれません」。
~同上書P1020

宿敵(?)ジョアキーノ・ロッシーニの談話が興味深い(仮に多少の脚色があったとしても)。
本人が「パンのための仕事」とした最後の3つのピアノ・ソナタたちの崇高さ。聴覚を失くし、心の耳で音を拾わざるを得なかったベートーヴェンの天才のなせる業。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第27番ホ短調作品90(1932.1.21&2.3録音)
・ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109(1932.3.22録音)
・ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110(1932.1.21録音)
・ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111(1932.1.21&3.21録音)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)

開設間もないアビーロード・スタジオでの録音。
シュナーベル渾身のベートーヴェンの全集は、いずれも「超」のつく自然体の名演奏だが、後期3大ソナタの憂愁は、それこそ当時のベートーヴェンの苦難を見事に照らし映すようだが、その心象をシュナーベルは丁寧に歌い上げる。

ソナタホ長調作品109第3楽章の内省的な、極めて静けさに富む表現には、聴覚を失ったベートーヴェンの、それゆえの神秘が乗るようだ。あるいは、ソナタ変イ長調作品110第1楽章モデラート・カンタービレ・モルト・エスプレッシーヴォの憧憬の想いは、ベートーヴェンの未来への希望を託したものなのか、シュナーベルの感情を伴ったピアニズムが古い録音を超えて僕たちの魂にまで迫る。同時に、終楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポの無垢さ、続くフーガのパートの息せき切る集中力にも感動。
ソナタハ短調作品111第2楽章アリエッタの、脱力のささやきの美しさ!!(もはや苦悩を超越する力)

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3 COMMENTS

桜成 裕子

 おじゃまします。このCDを聴いてみました。オーバーですがまさに驚愕の演奏でした。
どうしたら人間の指がピアノでこのような音を紡げるのかと不思議に思えてくるような響きです。シュナーベルはピアノ界のレオナルド・ダ・ビンチのようです。
 シュナーベルの演奏を聴くと、これらのピアノソナタの中に苦しみ哀しみ、慰め、苦悩の超克と勝利の歓喜が如実に刻印されているのが聴き取れるように感じます(特に31番と32番に)。「苦悩を抜けて歓喜へ」が正にベートーヴェンのモットーであったことを今さらのように思い出し、感銘を受ける演奏でした。
 デモーニッシュな27番1楽章、聴きなれたテンポより速めで生き生きとして個性的な2楽章、左手と右手の対話が見事です。献呈された少女マクシミリアーネ・ブレンターノとの微笑ましい思い出が感じられるような30番、ベートーヴェンとの間に優しい友情が育まれたと回想し、不滅の恋人とされるブレンターノ夫人アントーニエとの美しい思い出と苦悩、その超克が思われる31番。フーガの終結部は明るい未来への喜びの勝利が決然と歌われ、これを献呈された人はさぞ励まされたにちがいない、と思われるような高揚感。32番の激動の1楽章の後の安寧を感じさせる2楽章は、その長大な過程の中にいろいろな表情が万華鏡のように立ち現われ、ピアノソナタのミサソレムニスのようです。終盤、低音のほの暗い闇の中から、不死鳥のようによみがえるアリエッタの感動と、癒しと安寧の中に静かに終結する余韻。ベートーヴェンの個人的な感情の表明である、と言われているピアノ・ソナタ。ベートーヴェンはこのソナタを以って、人生の中の個人的な感情はすべて表現しきったのではないか、と強く思いました。その成就感があったからこそ、その後のディアベリ、第九、弦楽四重奏曲の壮大な挑戦に向かえたのではないか、と思いました。
 「パンのため」に作曲されたと手紙等からも言われていますが、30番の作曲は出版社とは関係なく自発的に着手されていますし、ピアノ・ソナタ3曲の契約は作曲への意欲を増強したとしても、献呈先が「この世で最も高貴なお二人」の一人、生涯の思い出アントーニエであることから、この作曲には思いのたけと渾身の作曲への情熱が注ぎ込まれているように思われます。このころ、末の男の子(ベートーヴェンの実子では?との疑いもある)の難病に苦しんでいたアントーニエへの励ましも込められたかもしれません。またピアノ曲は交響曲や大ミサ曲に比べて比較的早く完成し、需要もあることから、収入を得る動機から書き始めたのかもしれません。しかし、ベートーヴェンの手紙の「パンのための仕事(残念ながら私はそう呼ばざるを得ません)」という言葉の中には、ミサ・ソレムニスが遅れていることへの言い訳と共に、パンのために作曲をしなくてはならないという理不尽な状況に対する抵抗・抗議が滲んでいるように感じます。(ショスタコーヴィッチが生活のためにしかたなく映画音楽を作曲したのとは根本的に違うと思います。)
 シュナーベルの後期ピアノソナタの素晴らしさに接する機会をいただき、またこんな駄文を書かせていただきまして、感謝します!

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岡本 浩和

>桜成 裕子様

ベートーヴェンへの熱のこもった、愛情あるコメントをありがとうございます。
おっしゃるようにシュナーベルの演奏は実に音楽的で、彼が本当にベートーヴェンの音楽を愛し、楽しんでいるのだということが如実に伝わるものだと僕も思います。
こういう共感が起こることがまたブログの奇蹟であるように思います(大袈裟ですが)。

2020年、ベートーヴェン・イヤーもまもなく終わりますが、引き続きよろしくお願いします。

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桜成 裕子

岡本 浩和 様

 ありがとうございます。こちらこそ、ベートーヴェン・イヤーが終わっても、引き続きインスパイヤ―してくださるよう、お願いいたします。

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