肉体と精神の限界に挑戦するハードなパフォーマンスは、しかし、だからこそ得られる美の瞬間を何度も現出した。キースのソロ・コンサートを見聴きすることは、画家がキャンバスに向かって絵を描いているその一部始終に立ち会うようなことだ。その空間では、聴く側もキースが味わう音楽創造の苦しみを分かち合う。これこそが、キースのソロ・コンサートにしか求められない醍醐味である。
~季刊「ジャズ批評88号」(1996年夏)(ジャズ批評社)P22
キースは、観客に想像以上の忍耐を要求する。
キース・ジャレットのソロ・コンサートを見るのは、呼吸することさえ憚られる、生の崖っぷちに立っての真剣勝負だ。
コンサート前には、観客に対して演奏が録音されることがアナウンスされ、咳をしないことと、ライヴ中もライヴ後も撮影をしないことが求められた。
(原雅明)
~UCCE-1185/6ライナーノーツ
それほどの厳しい要求を出すのなら、スタジオに籠って一人で即興演奏をすれば良いのではないかとさえ思う。しかしキースの即興は、聴衆を目の前にしてのものであるがゆえに成り立つものなのだ。
キースは常に観客の存在を必要な前提と考えており、楽器や会場と同じようにインスピレーションを与える存在であると明言してきた。それ故に、ライヴ・レコーディングに拘ってもきた。それは、観客に対して規律と集中力を強いることでもあった。演奏するキースとそれを聴く観客との間には、常に緊張感が生まれる。そのことは、時にキースと観客の双方にフラストレーションとして顕れることもあった。
~同上ライナーノーツ
一触即発の、気と気のぶつかりが生み出す奇蹟こそが、キース・ジャレットのソロ・パフォーマンス。
・Keith Jarrett:Budapest Concert (2020)
Personnel
Keith Jarrett (piano)
2016年7月3日、ブダペストはベラ・バルトーク国立コンサートホールでのライヴ録音。尊敬するベラ・バルトークの名前を冠したホールでの即興演奏だからだろうか、パート1からいかにも現代風の不協和音の連続の、複雑な旋律の演奏が続く。約束通り、聴衆は固唾を飲み、キースの驚異的な演奏に集中する。そして、キースは、パート12まで、手を変え、品を変えるように、自身の直感に則って、ひたすら音楽をていねいに、そして静かに奏でるのだ。その後の2つのアンコール(?)も、例えば、”It’s A Lonesome Old Town”などエリック・サティのアンニュイを髣髴とさせ、実に心地良い。
澄んだ音、慈しみの音。
キースは、健康上の理由により、このコンサートの後まもなくすべてのコンサートをキャンセルした。
世界的な米ジャズピアニストのキース・ジャレットさん(75)が2018年に2度、脳卒中を患い、左手にまひが残っていることが明らかになった。米ニューヨーク・タイムズ紙が本人に取材し、21日に伝えた。「自分がピアニストと感じられない」と語ったといい、同紙は、ジャレットさんが今後公演に復帰することはありそうにない、と伝えた。
同紙によると、ジャレットさんがニュージャージー州の自宅から電話取材に応じた。18年2月に最初の、同年5月に2度目の脳卒中を起こしたという。本人は「左半身がまだ部分的にまひしている。杖を使って何とか歩けるが、ここまで回復するのに1年か、それ以上を要した」と話したという。
ジャレットさんは、両手のピアノ演奏を聞くと「身体的にもどかしくなる」といい、「なぜなら私は(同じように)弾けないし、そこまでの回復の見込みもないからだ。左手の回復で最も期待できるのは、たぶんコップを握ることだろう」と語ったという。
同年3月に予定されていたニューヨーク・カーネギーホールでの公演は2月下旬にキャンセルされた。同ホールは当時、「健康問題が理由」「振り替え公演なし」と発表しており、ファンの間では懸念する声が絶えなかった。日本でも人気が高く、繰り返し来日コンサートを開いてきた。
(ワシントン=金成隆一)
~2020年10月22日付朝日新聞夕刊
キースのもどかしさがよくわかる。
音楽を作る上で命より大切な(?)左腕がいうことをきかないのだから。もはやキースのピアノが聴けないであろうことが残念でならない。