
爆発的なヒットとなっている「鬼滅の刃」。周囲の誰もが薦めるので、だいぶ前にアニメ版を観た。とても良かった。そして、ようやく劇場公開版である「無限列車編」を観た。やっぱり素晴らしかった。
人間の心は弱いという。
後天の心たる性格は常に変化し、揺らぐ。しかし、本性たる心にリーチできれば弱いも強いもない。ありのままだからだ。本性たる心にリーチするには環境や体験によって作られ、また左右される思念を超えるしかなかろう。もし思念を超えられるなら、鬼はいつも蚊帳の外だ。
術に堕ちているとき、人間は動けない。しかし、真我に至れば、術を逃れ、自在に動くことは容易い。炭治郎は、本当ならすべてを失っていたそうだ。しかし、本当も嘘もないだろう。実も虚もないのだ。
人は苦しみから逃れられるのなら他人を傷つけても良いとさえ思っている。しかし、それは間違いだ。苦しみは自分の無意識が生み出す幻想ゆえ。その証拠に、炭治郎の無意識の内は慈しみに溢れた青空の、まさに真空の世界だった。そこでは光る恋人が心を照らし、目覚めを誘発してくれるのだ。
呼吸を極めれば、何でもできるわけではないが、昨日の自分より何でもできるようになる。
何という真理!柱たる煉獄杏寿郎の言葉が重い。
つくづく思うのは、死というものを怖れない意識の覚醒が必須だということ。そもそも魂は永遠ゆえ、この身に固執した不死という思考が破壊を招く。陽の光から身を守ろうとし、逃げる鬼の弱みはそこだ。覚悟を決めた人間は何て強いのだろう。
そして、杏寿郎は、心を燃やせ、歯を食いしばって前を向けと言う。当たり前の道理だ。
僕は思う。生きるとは、命を懸けて役割を全うすることだと。
戦い終わって、最後の鎹鴉(?)の涙がまた慈しみを誘う。
映画の端々で気になるシーンを手繰ってみた。やっぱり慈しみこそが、世界を救う最大の方法だ。すべての人がつながる時期の到来がすぐそこまで来ている、否、すでに来ているのだと僕は思った。