
1989年だったか、アンドレ・プレヴィンがロンドン響かロンドン・フィルかを率いて来日公演を行うというので、当時おつきあいのあったクライアントのお供でチケットをとったことがある。しかし、事情により参戦できなくなったのでせっかくのチケットを手放したことがあった。プログラムの詳細は失念したが、メインはショスタコーヴィチの交響曲第5番ニ短調だった。
若きアンドレ・プレヴィンがRCAに録音したショスタコーヴィチが素晴らしい。
どちらかというとムラヴィンスキーではなくバーンスタイン寄りの解釈で、実にエネルギッシュな側面が全面的に押し出されているように思う。


・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調作品47
アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団(1965.8.21&23録音)
プレヴィンのショスタコーヴィチに悲壮感はない。
第1楽章モデラート冒頭から劇的な、そして流れの良い音楽が創造される。
第2楽章アレグレットは喜びに満ちる(オーケストラの奏者個々の技量も素晴らしい)。
そして、渾身の第3楽章ラルゴにおいて音楽は一層深みを帯び(決して沈潜しない)、終楽章アレグロ・ノン・トロッポの猛烈な爆発と解放に引き継がれるのである。
ところで、プレヴィンが初めてクラシック音楽の実演に触れたのは5歳のときだったらしい(とすると、1934年頃のことだ)。よりによってフルトヴェングラーのコンサートである(何という原体験!)。
初めて聞いたのは五歳のとき。父に連れられて行った、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニーのブラームス・プログラムだった。私は肌が総毛立つのを覚えた。今でもそれは変わらない。私は、子供がよく心に抱く夢の迷路をくぐり抜けたことがないような気がする。消防夫、登山家、10種競技のチャンピオン、手品師—棒の一振りで全ては消え、私はそのあとの一生を音楽を追いかけて暮らしていた。
~アンドレ・プレヴィン編/別宮貞徳訳「素顔のオーケストラ」(日貿出版社)
果してブラームスの何を演ったのか?!
Tahra発行のコンサート・リストを調べてみると、1933年5月にブラームス・フェスティバルが開催されており、ベルリンで24日にフルトヴェングラーはエトヴィン・フィッシャーの独奏によるピアノ協奏曲第2番と交響曲第1番を採り上げている。
このとき、プレヴィンは4歳。おそらくこの日のことを言っているのかもしれない(1934年、あるいは35年はブラームスの交響曲はいろいろとプログラムに載せているが、オール・ブラームスというコンサートはない)。プレヴィンの記憶違いか、あるいはブラームスの交響曲のことだったのか。
いずれにせよ羨ましい限りの体験だ。
この日から彼は指揮者を目指したのだという。
(ジャズはそもそも余興だったということか!?)


プレヴィンさまの、クラシック指揮者としての最初期の、盤ですね。国内盤では当時のBMG・ファンハウス㈱が、〝プレヴィン・RCAイヤーズ“として、この時期のプレヴィンさまの今となっては〝遺産“となった音源を、リリースして下さった覚えがございます。私などは、EMIに移ってからの旺盛な活動をなさってから以降の印象が強いのですが、この頃の生き生きして新鮮なアプローチも、〝巨匠”になってからの演奏ぶりも、また異なった魅力があることでしょう。このお方の音楽は、威圧的に思えたり押し付けがましさの感じられないのが、また堪らない魅力ですね。
>タカオカタクヤ様
僕などはDG時代のプレヴィンの印象が強いのですが、随分前にはじめてジャズメンたるプレヴィンの演奏を聴いたとき感激しまして、そうなると若き日のプレヴィンはひょっとするとより自由で奔放な音楽を奏でていたのではないかと古いクラシック録音を漁るようになりました。
「自由奔放」とは言い難いのですが、それでも果敢な挑戦欲が感じられ、このショスタコ―ヴィチも後年のものより好きなのです。