ベートーヴェン後期の弦楽四重奏曲が、こんなにも甘美な音色で良いのか?!
おそらくベートーヴェンはすべてを是とするだろう。
これほど憧憬に満ち、聴く者を恍惚とさせる演奏があろうか。録音の古さなど、この演奏を前にしてそれを拒否する理由にはならない。人類の至宝とすべきベートーヴェンの意志がここにはある。
私は、私の同時代のあらゆる師たちからよりも、いっそう多くベートーヴェンから教えられて来た。自分自身の最善なものを、私はベートーヴェンに負うている。そうして、あらゆる国々の無数の謙虚な人々が慰めと生きる力と、そして—(私は魂の清さと真理とを、とはいわない。なぜなら、だれかそれをすでに獲得していると自負し得るものがあろうか?)—しかしこのような頂上およびその汚れのない霊気への熱心な憧れとを、私と同じく、ベートーヴェンに負うていることを私は思う。
(1927年3月26日、ウィーン)
「ベートーヴェンへの感謝」
~ロマン・ロラン著/片山敏彦訳「ベートーヴェンの生涯」(岩波文庫)P165
「ベートーヴェンへの感謝」は、ベートーヴェン没後100年祭でのロマン・ロランの講演の記録である。すべてが示唆に富んだ言葉たちに、ロランらしい過剰な思い入れと侮るべからず。確かにベートーヴェンの音楽には真に智慧があろう。湯水のごとく湧き出づるその智慧は、僕たちを、文字通り「自分自身の最善なもの」に導いてくれるのだ。
後期弦楽四重奏曲の座右の音盤の一つ、ブッシュ弦楽四重奏団による演奏には経年劣化(?)がない(時代がかった表現は頻出するが)。どんなに時間が経過してもそこには新しい発見がある。
戦時中の、ニューヨークでの録音である変ロ長調作品130は、やはり第5楽章カヴァティーナの情感たっぷりの演奏が聴きどころ。
最晩年に書かれた作品は、それらが作られた境遇の惨めさにもかかわらずしばしばまったく新しいふざけ心や、雄々しく楽しげな無執着の性質を持っている。死に先立つ4ヶ月の時、1826年11月に書き上げた最後の楽章、すなわち作品130の弦四重奏曲の書き直された終曲ははなはだ快活なものである。もとよりこの快活さは世の常のものではない。モーシェレスがそれについていったことのある厳しく荒く突発的な笑いであるかと思えばしかしまたそれは、悩みを克服した人間の示す感銘深い微笑でもある。いずれにせよ、ベートーヴェンは勝っている。もはや死の存在を彼は信じない。
~同上書P64
そして、終楽章アレグロは、ロランが言うように、「悩みを克服した人間の示す感慨深い微笑」の最高の表現の一つといえるだろう。しかしながら、それ以上に凄みを湛えるのが、フェリックス・ワインガルトナー編曲による大フーガ!!ここでのアドルフ・ブッシュは、ひたすらベートーヴェンの音楽に奉仕する如し。底から渦巻く最晩年のベートーヴェンの、バッハへの尊崇の想いがただただ純粋に音化される。難解といわれる哲学的音楽がこれほど優美に奏されるのは他では聴けないものかも。