朝比奈隆指揮大阪フィル ブルックナー 交響曲第7番(1976.4.14録音)

アントン・ブルックナーの交響曲第7番については、厳粛で神々しくも壮大なロベルト・ハース校訂版の音響が正統だと個人的には思っている。しかも、その再現については、堂々たる、微動さえしない第1楽章コーダを持つ、朝比奈隆御大の解釈こそすべてであると、僕はまた信じている。

年代によってテンポの設定の変化はあれど、朝比奈隆の解釈は一貫していた。
晩年になるにつれ、スピードは速まっていったが、70年代の、(レオポルト・ノヴァークさえも感動させた聖フローリアン修道院での名演奏に代表される)あの堂々たる威容の再現こそが最高の形であると、今も僕は確信しているのだ。

聖フローリアン修道院の奇蹟から半年後の、神戸文化ホールでのセッション録音は、さすがに音響的に前の演奏とは比較にならず、多少の粗さが見えるのはやむを得まい。しかし、それでも朝比奈の圧倒的なブルックナーであることに違いない。
朝比奈の棒で初めてこの作品に触れたあの日、あの瞬間の感激は今でも僕の宝だ。

・ブルックナー:交響曲第7番ホ長調(ハースによる原典版)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1976.4.14録音)

朝比奈としては中庸の、しかし想念こもる第2楽章アダージョの、文字通り荘重さ。
最美の第2主題にフルートが独奏で旋律を重ねる瞬間の憧れに満ちた表情は、ブルックナーの真骨頂であり、彼の内なる慈悲の精神の顕現だと思う。それは、朝比奈隆にだけ許された神の加護というのは大袈裟かもしれない。それほどにこの楽章は、100年も後の御大のために創造されたのではないのかと思えるほどその表現はツボにはまるのである。

例えば、クライマックスにおける打楽器なしも理想。

(ティンパニ)は本当の音楽の音じゃないですからねえ。雑音と言うと怒られるかもしれないけど、透明な音程じゃないですからね。だから、現場で、実際の問題で考えないと。

(交響曲第7番の)あの第1楽章の音楽の調性の流れだと、トニックの主音と属音に合わせたら、役に立たない・・・。
叩くとこないわけですよ。だから、最後に主調がもどってきたから、安心して叩いているわけですよ(笑)。それと、リズム感を特に強調しなければならないアインザッツもないでしょう。音楽の性質上、ティンパニはいらないみたいですね。

金子建志編/解説「朝比奈隆—交響楽の世界」(早稲田出版)P267

朝比奈御大の、ブルックナーへの熱い思いと、相当の研究を経ての解釈なのだろうということに頭が下がる思い。

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