Pink Floyd “The Wall” (1979)

ロジャー・ウォーターズの深層はおそらく暗い。
ゆえに、彼が主導したアルバムは、大抵が暗澹たる表情に支配される。しかし、それはおどろおどろしい暗さではない。むしろ、清澄で静かな、癒しさえ感じさせる暗さなのである。

世界は喜劇であり、茶番である。一見、悲劇に見える物語でさえ、実は喜劇である。結末がどんなのであれ、笑って澄ませと彼は言うのだろうか(?)。

久しぶりに聴いた”The Wall”が耳に心地良い。
セールス的にも好評だったモンスター・アルバムだが、果たしてこの「壁」という主題が万人に無条件に受け入れられるとは思えなかった。しかし、「壁」というものの存在に気づいた(壁などないと信じていた)現代人は、その矛盾の中に自分自身を発見したのかもしれぬ。

聴衆の多くは、「ザ・ウォール」を耐えがたいものと見ていた。しかし、それがあまりにも陰鬱だということが唯一の理由ではなかった。かたくなな自惚れ、自己陶酔、そして自己への哀れみを嫌う人もいれば、終末思想の濃いこのアルバムを嫌がる人もいた。
ニコラス・シャフナー著/今井幹晴訳「ピンク・フロイド 神秘」(宝島社)P274

たぶん、たぶんだけれど、そういう嫌悪感を持った人ほど、40余年を経た今になって、「ザ・ウォール」の素晴らしさを分かち合っているかもしれない。陰鬱さの背後にある愉悦、たった今僕が感じるのは光そのものだ。

僕は、ロジャーが頭の蓋を開けて、世間の人に彼の潜在意識の機関室を覗かせたと思った。それは、無防備な、勇気あることで、真摯なアーティストなら当然のことさ。そういうアーティストは、自分の精神的な望みや欲求の本質を他と共有することで、共通性や心の安らぎを追求するんだ。
(ロック評論家ティモシー・ホワイト)
~同上書P275

ティモシー・ホワイトの評はまさに正鵠を射ていた。
凡人には、風の時代、すべてが明らかになる今の時代だからこそ、ロジャー・ウォーターズの真意が理解できるのだ。

・Pink Floyd:The Wall (1979)

Personnel
Roger Waters (vocals, bass guitar, synthesizer, acoustic guitar, electric guitar)
David Gilmour (vocals, electric and acoustic guitars, bass guitar, synthesizer, clavinet, percussion)
Nick Mason (drums, percussion)
Richard Wright (acoustic and electric pianos, Hammond organ, synthesizer, clavinet, bass pedals)

この個人的な激白を単なる妄想というなかれ。
ロジャーの真実の目が、この2つの目で見る(住みにくい)社会を幾分揶揄しながら、あくまで自己中心的にだが、芸術の域に高めてモノローグ的ロック・オペラを開拓したのである。

“Is There Anybody Out There?”のアコースティックな美しさに僕は惚れ惚れする。「そこに、誰かいるのか?」というむき出しの、赤裸々な魂の声が、腹の底にどすんと響くのだ。この他者を異様に恐れる姿勢は、まるでグレン・グールドのようだ。果たして亡くなる前のグールドが「ザ・ウォール」を聴いていたかどうかは知らない。しかし、ウォーターズの生き様(思想?)とグールドの生き様(思想?)が、僕にはかぶる。

ここ数年、回帰の動きがみられます。20年ないし25年前に演奏会を擬態したレコードが作られたときのある種の神秘への回帰でして、これは、特定の演奏の場を琥珀の中に封じ込めることにこそ不思議な魅力があるという発想です。
(インタビュー「エクスタシーの重要性」1981年)
グレン・グールド、ジョン・P.L.ロバーツ/宮澤淳一訳「グレン・グールド発言集」(みすず書房)P361

演奏活動を止めたことに対する後悔はグールドには当然ない。
神秘への回帰という言葉が意味深い。

ピアノ演奏の秘訣のひとつは、あらゆる手段に訴えて、楽器から自分自身を切り離すことです。・・・(中略)・・・私は、自分の外側に立つと同時に、自分のやっていることに完全に没入する方法を見つけなくてはなりません。
~同上書P363

なるほど、ロジャー・ウォーターズにおいても、バンドから自分自身を切り離すと同時に自分のやっていることに完全の没入したのが「ザ・ウォール」だったのだと言えまいか。

一貫する主題に、通奏低音のように聞こえるモチーフが、僕たちの深層に響く。再現される”In the Flesh”の荘厳な美しさ。そして、”Run Like Hell”の(耳についた離れぬ)疾走感。
ここには、ピンク・フロイドというバンドの一体感がある。

金銭やそのほか沢山のものを、そのレコードに注ぎ込んだんだ。僕もエズリンもね。多くの人は、あれをロジャー・ウォーターズの初めてのソロ・アルバムだと思ってるらしいけど、そうじゃないんだ。ロジャーは、自分ひとりであんなものを作れやしないよ。できっこないさ。彼には、ソロ・レコードを作る機会は、ほかに3回あったんだ。だから、聴けば違いがわかると思うよ。
(デイヴィッド・ギルモア)
ニコラス・シャフナー著/今井幹晴訳「ピンク・フロイド 神秘」(宝島社)P268

デイヴの言葉通りだ。「ザ・ウォール」は40余年を経て、一層光輝を放つ。

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