シェルヘン指揮ルガノ放送管 ベートーヴェン 交響曲第8番(1965.3.19録音)ほか

それとまったく同時期に、自弟の発病に端を発する生活苦により義妹がベートーヴェンを保証人にして借金をしたことから、彼も負のスパイラルに巻き込まれていく。しかし保証人としての借金の付け替えではなく、彼自身がシュタイナーから借財するのは1816年5月以降のことであり、しかも貸主には定期預金を預けていたから、困窮というよりは、作品譲渡が絡んだ戦略のようなものであったかもしれない。しかしこの年から甥の保護者となることで彼の経済生活は大きく変貌し、日常的出費の増加は著しかった。
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築3」(春秋社)P1183

すべては推量の域を出ないが、果たしてベートーヴェンは実際に経済的困窮に陥っていたのかといえば、そうではないのかもしれない。もちろんあり余るほどのお金があったわけではないだろうが、相応の収入があれば相応の出費も嵩むだろうことは当然で、病に倒れた最晩年の(ガリツィン侯の未払いにまつわる)貧窮以外は、そこそこの生活を送っていたのだろうと思われてならない。

大陸の経済事情の悪化を救ったのがイギリスとの関係である。1807年4月20日のクレメンティとの契約はたまたま同人がヴィーンを来訪したという偶然がきっかけとなったが、シンフォニー第4番をはじめとする8作品に1800グルデンは大きかった。3弦楽四重奏曲やヴァイオリン・コンチェルトのピアノ編曲版を含めての価格であるから、シンフォニーには400グルデン相当の価格が念頭に置かれたと考えてよい。エディンバラのトムソンとの関係は1803年以来のことであるが、実際に同社からの継続的な支払いが始まったのは1810年後半と思われる。ところが早くも同年7月には、「トムソンからしこたまもらっている」といううわさとなって、それはブライトコップ&ヘルテル社との交渉の障害になるほどであった。
~同上書P1179

大崎氏の綿密なリサーチの賜物。相当の価格で作品が売れていたことを考えると、ベートーヴェンはやはり売れっ子であったわけで、収入も相応にあったことが窺われる。

ヘルマン・シェルヘンを聴く。

ベートーヴェン:
・交響曲第4番変ロ長調作品60(1965.2.26録音)
・交響曲第8番ヘ長調作品93(1965.3.19録音)
ヘルマン・シェルヘン指揮ルガノ放送管弦楽団

吼える指揮者に煽られて、オーケストラがうねる。
猛烈なスピードで駆け抜ける交響曲第8番ヘ長調の若々しさ。
いきなりトップギアで切り込む第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・コン・ブリオに対し、第2楽章アレグレット・スケルツァンドの、心地良いリズムに夢を見る。何という明朗さ、何という軽快さ。それまで蓄積してきたあらゆるイディオムを注ぎ、よりコンパクトな構造の中に音楽を創造したベートーヴェンの天才があり、また傑作と自負する交響曲の真髄がここにはある。極めつけは終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの生き急ぐかのような猛烈な加速!!生への希望だと取れなくもないが、恣意的なエネルギーがむしろ音楽に一層の生命力を加担する。恐るべし、ヘルマン・シェルヘンの魔法。

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