
カラヤンのモーツァルトについては正直あまり良いとは思えない。しかし、さすがにオペラにあっては評価は変わる。晩年の「ドン・ジョヴァンニ」は素晴らしいし、「フィガロの結婚」も評価が二分されるところだが(?)、好感が持てる内容だ。
モーツァルトは自分の音楽がボヘミア人に感銘を与えたことをたいそう喜んだ。こうした音楽感情を持つ国民を知りたいという好奇心に満ちていたために、この機会を心から喜んで受け入れたのである。モーツァルトは1787年1月にプラハにやって来た。到着当日に《フィガロ》が上演され、モーツァルトが会場に姿を現した。彼がいるという話がすぐさま平土間席に広まり、序曲が終るとすべての観客が喝采と歓迎の意味を込めて拍手をおくったのであった。
(フランツ・クサーヴァー・ニーメチェク「《フィガロの結婚》のプラハ初演についての報告」
~アッティラ・チャンパイ/ディートマル・ホラント編「名作オペラブックス1 モーツァルト フィガロの結婚」(音楽之友社)P292
プラハでは好感をもって迎えられ、大成功を収めたオペラも、初演地ウィーンでは不出来で決して鷹揚に迎え入れられたわけではなかった。パリでは上演禁止になっていたこの喜劇に、音楽を付したモーツァルトの作品はついにウィーンでは解禁となり、無事に初演されるも9回上演されるに止まり、その後しばらくプログラムに載ることはなかった。
初演時には、曲がひじょうに難しいために最上の状態で演奏されなかったことは確かである。
だが、何度か上演を重ねたいまとなっては、モーツァルト氏の音楽が音楽の傑作であるという以外の意見を通そうとする者は、陰謀の肩を持っているか趣味が悪いかどちらかであることを自白していることになろう。
その音楽はなんと多くの美を含んでおり、生来の天才の泉からしか汲み出されない想念に富んでいることか。
(1786年7月11日付「ウィーン・レアールツァイトゥング」紙)
~同上書P288-289
当時、欧州の中心都市であったウィーンにおいては、ただ音楽が美しいだけでは認められなかった。そこには政治的な思惑や駆け引きが渦巻いていたのである。物語は、かつて放棄した初夜権の復活を、スザンナ目当てに目論むアルマヴィーヴァ伯爵の密かな(?)好色や様々に展開される陰謀合戦の妙によって目くるめく進行する。
縦横に展開する傑作オペラを、カラヤンは音楽重視の姿勢で緻密に練り上げる。
イタリア・オペラの軽快さよりはドイツ・オペラの重厚さを重視するカラヤンの魔法。否、「フィガロ」はイタリア語で歌われるというだけであって、れっきとしたドイツ・オペラゆえ、彼のとった方法は間違いなく正しい。
序曲冒頭超弱音から一気に強音に解放される瞬間のカタルシス。こういう(以前は鼻についた)いかにもカラヤン節がこの後の展開を楽しみにさせるのだから興味深い。第1幕から終幕まで一切の緩みなく、音楽はウィーン・フィルの美演とともに常に緊張感と生命力をもって表現される。歌手陣もさすがにカラヤン劇場に幾度も出演するだけあり、安定の歌唱を示す。コトルバスのスザンヌもホセ・ヴァン・ダムのフィガロも素晴らしいが、僕の一押しはケルビーノ役のフォン・シュターデ。登場場面で歌われる第1幕第6番アリア「自分で自分がわからない」の可憐さ、あるいは、有名な第2幕第12番アリエッタ「恋とはどんなものなのか」の深み。
ちなみに、コトルバスとトモワ=シントウによるスザンナと伯爵夫人の第3幕第21番二重唱「そよ風に寄せる」などは2人が実に一体化しており、素晴らしい熱唱だと思う。
「フィガロの結婚」は名旋律の宝庫。隅から隅まで音楽が躍動する。