
僕は、リヒテルの弾く、最晩年のモーツァルトの創造した可憐なハ長調のソナタを聴いて心底魂消た。それまで聴いたことのなかった節回しと、まるでモーツァルト自身がお道化て弾いているかのような即興的な装飾が随所に現れ、時に左手を強調して再生する様子に「天才だ」と確信した。いや、待て、何やら音が多いぞ。なるほどそれは、グリーグが第2ピアノの伴奏を付加したバージョンでの演奏だった。
それにしてもここでのリヒテルもレオンスカヤも、とにかくモーツァルトの音楽を楽しんでいる。本当に彼らはモーツァルトを愛しているのだ。
ウィーンで友人が、ある家に遊びに行こうとうるさい。何やら嫌な予感がした。—降霊会だったのさ! テーブルを囲んで、そこに上体を傾けると、皿が動く。薄気味悪い雰囲気でね。モーツァルトを呼び出して、交信をしようとしている。どうやら、あんまりうるさくせがむから、現われてくれないらしい。そこで誰かが私を引っぱって来ようと思いついた。私ならモーツァルトを呼び出せるだろう、と考えたわけだ。あまり愉快でなかったね。だいたいどうしてモーツァルトなんだい? 彼とならピアノを通してしゅっちゅう交信している。どうせ呼ぶならワーグナーにしてほしいものだ。連中は思いもしないんだな、これが。
~ユーリー・ボリソフ/宮澤淳一訳「リヒテルは語る」(ちくま学芸文庫)P83
リヒテルの演奏には間違いなくモーツァルトが乗り移っていてもおかしくなかろう。そこにはグリーグのアイディアも入っているとはいえ、まったく度肝を抜かれる。
まるで愛の交歓のよう。
レオンスカヤもリヒテルも個人的な自己主張を抑え、ひたすら作曲家に奉仕する。モーツァルトとグリーグの掛け算に、リヒテルとレオンスカヤの掛け算が相掛け合わさるのだから、これは一大事、堪らない。音楽がこれほど光輝を放ち、モーツァルトの喜びに溢れる様子に僕は歓喜する。これはモーツァルト愛好者(もちろんグリーグ愛好者も)必聴の音盤だろう。
そして、暗澹たる幻想曲ハ短調ですら大いなる希望が垣間見える。
ソナタヘ長調の、ベートーヴェンを髣髴とさせる堂々たる趣きがまた素晴らしい。
そういう、光と闇のあいだを行き来する、宙に浮いたモーツァルト像は、前から知っていたとも。そして私はそんなモーツァルトを捕まえることはできない。捕まえようとすればするほど、すり抜けていく。
~同上書P141
モーツァルトは決して易しくない。
しかし、リヒテルのように(レオンスカヤのように)ひとたび一体となれれば人間業を超えた音楽が生まれる。何という美しさ。