
しばしば訪れる岐阜県中津川市へは中央高速道を使う。
4県をまたぐ日本アルプスを越える最中に八ヶ岳がある。その地を通過するたび、大自然の恵みと慈しみに溢れる天と大地に僕はいつも感謝する。山奥に生まれ育った僕にとって、山は神々の鑑だ。
ブーニンが八ヶ岳で制作した「モーツァルト・アルバム」は僕の座右の盤。それから2年3ヶ月後、あらためて日本で制作された「バッハ・リサイタルII」はブーニン畢生のアルバムであり、バッハ・ファン必聴の傑作である。
本当に久しぶりに聴いてみたが、30年近くの歳月を経ても燦然と輝く、ブーニンのベストの姿がここにある。まるでショパンのような流麗なバッハ。軽々と弾いて魅せるブーニンの真骨頂だと僕は思う。
私の仕事というのは、これら音楽の本性とみずみずしさを自ら感じとって、それを生きづかせてゆくということから成り立っています。ポップスにもロックにも食傷気味な今日、人々は残念ながら音を耳にするということにすっかり疲れ果ててしまっています。私に課せられた使命というのは、このような人達に真実の“原典”、つまりすでに何百年と生き延びてきた精神的な意義や美しさというものを証明してみせることです。
(スタニスラフ・ブーニン)
~TOCE-8307ライナーノーツ
ブーニンがバッハを弾く理由は、そういうことらしい。
それにしてもどんなバッハ演奏をも凌駕するのは、果たしてそれが彼のいう使命から発せられたものであるからかどうなのか、そこはわからないが、無条件の美しさは間違いなく群を抜く。
ほんのわずかだが、ルバート気味に始まる第1曲アルマンドのお洒落。哀愁を帯びつつ弾ける第7曲ジーグを終りに持つフランス組曲第5番の奇蹟。そして、ヴィルヘルム・ケンプの編曲による4つのコラール前奏曲の、まるで最初からピアノのために書かれたかのような柔らかくも高貴で可憐な響きに感動。イギリス組曲第2番の生命力!第1曲プレリュードから、ブーニンはとり憑かれたようにバッハに没入する。何だろう? この地の底から湧き上がるような不可思議な感情は。